あんなこと言ってたら本気で寒くなって来ましたねって春用かこの文。
お久しぶりです、にょ〜にょです。
なんか仕事でやってた21号の「RUN!RUN!IVAN!」が良い感じになってきていまだに時々やってるんですが、現時点で全面私より高い点が来てないとか、もう1ヶ月もしたらすべて抜かれちゃうんだろうかとか、私が1位でも賞品はくんないらしいとか、うれしいやら、さびしいやら、まぁほとんど何でも楽しいんですが。
そう言えば、またテストプレイの追い込み時期がやって来ましたね。 いまから「本気か?」って気分で一杯なんですが、まあ22号が発売される頃にはもう答えも出てるんでしょう。 とりあえず頑張る頑張るっつーことで。 「わくぷよ」やら「ぷよよん」やらめっちゃ面白いんで是非よろしく。
ここからのお話は決して楽しくお気楽なものではないのでイージーに逝きたいボクはこの辺でさようなら。
<別冊にょ〜にょのあくまでも個人的見解からくる皆の幸せ>
以前、ある雑誌で名のあるだれかが「本屋の店先で立ち読みしている子供達は追っ払っちゃいけないんですよ。」とか言っていた。 論旨については「成長したらお客さんになるのだから。」ということだった。 そこで考えたことなのだが必ずしも世の中はそう動いていないと思う。 子供達は「本は立ち読みするのが当然だ。」という甘ちゃん軍団に育っているのではないだろうか。 独り立ちしたときより、人は一人前でなくてはいけない。 我が国では法に基づく「資本主義」の下で国民の自由を謳っている。 これはどういうことだろう。 すなわち一人前の大人は働いてそれに見合う報酬を得ること、その報酬に見合う分の商品を自由に購入できることを約束すると共に義務付けているのである。 ここで忘れてはいけないのがその「商品を購入する」という行為によってその商品に携わった人に報酬が支払われることになるということだ。 つまり、一人の個人は労働者であり、と同時に消費者でもある。 働いたら妥当な報酬が必要なように、商品にも妥当な代金が必要なのだ。 逆に考えると、無駄な(誰一人価値がわからない)労働をしている人や実質働いていない人に報酬が払われたりしてはならない。 また、労働力や知識、情報を含むすべての商品は正しい見返りを支払うことなく利用できない。 言い換えれば「『これは価値がある』と思ったらそれに見合うものをお礼に出せ。」っていうのが大人のルールであり両親に守られている間には気にする必要がないが、一度世に出れば当然の常識であるはずなのだが、それを誰にも教わらず、一人で気付くことも無く、とりあえず大人の恰好をしているだけの子供が多く育っているのではなかろうか。 テレビは見るだけで視聴者になることができる。 しかし本やゲームはメーカーに代金が支払われて初めて読者やユーザーになるということを忘れてはいけない。 その他の方法としては友人に借りるという手もあるが、物の貸し借りができる友人付き合いがいやなら残る手段は購入のみである。 それなら話は簡単だ、読みたい本は全部買い、やりたいゲームも全部買えば良い。 そんなお金無いって思った人達、そうですそれだけの情報や娯楽を得るほどあなたたちは資本を有していないんです。(友人関係だって立派な資本だよね。 ただしコピー関連は不可だよ念のため。) 何一つ我慢すること無く、望むすべてを手に入れることなどできてはならないんです。 今の日本はまず学校で「我慢」ということを教えない、そもそも親が教えるはずのこの項目が学校機関に勝手に親からまかされて久しいが、現状学校にもそれを教える要素は見受けられない。 話が脱線気味なので戻そう。 寿命という時間範囲のなかで、「まずこれをやろう。」という優先順位をつけなければいけないように、資本という投資可能範囲のなかで、「まずこれに投資しよう。」という優先順位をつけて行かなければならない。 資本が足りない分は我慢して、次の機会を待つのが常識なのだ。 ちょっとお金が足りないとして「どうしても欲しい」ならどうすれば良いのだろう。 正解はその分、他の何かの投資を止める。(私はあまりに衣や食の優先順位が低いのでたまに知人からも注意を受けるのだが。) 長期的に見れば、もっと頑張って資本面で豊かになるという手もある。 何にしても、自分評価で「重要だからやる」「そんなに重要に感じられないのであきらめる」の思考くらいはめぐらせて欲しいものだ。 それ自体も考え始めると結構楽しいものだ。 もっと戻って本の話に帰ろう。 最近はビニールでカバーをしている書店も多いが、わざわざそれを破いて立ち読みしているおばかさんも少なくはない。 生活時間帯が違うせいも有るだろうが、私は立ち読みできる良心的な店でも、ちらっと内容を見定めて「読もう」と思ったら買ってしまうことにしている。 毎回読むような本なら即買いだ。 犠牲にしているものも振り返るとあまりに多いとも思うが、他愛無い多くの葛藤はちょっぴりでも私を育ててくれた。 それらに教えられてここまで成長してきた。 個人的には自分に厳しいつもりの自分がそこそこ好きだと思う。
最近のMAXお気に入りゲームの中で「あの子はこれまで苦労知らずで育ってきた。 これからはその分苦労の連続になるのだろうな。」という意味合いで語る親キャラがいたが、まったくその通りです。
人は生まれついての差は無いと昔の偉い人はおっしゃっている。
しかし、生まれてからこれまでの生活で既に確固とした差は付いているはずだ。
その差を無駄にせず大事に使いましょう。
その差を埋めるべく、そして追い抜くべく努力しましょう。
(補足:勉強しろって意味じゃないよ。 努力の方向ってのは人それぞれね。)
努力するのがいやならあきらめましょう。
あきらめたら何も欲してはいけません。
それがいやならやっぱり一生懸命頑張りましょう。
この世はとても簡単なルールで動いています。
そしてそれこそは絶対律です。
皆で幸せになるにはどうしたら良いのでしょうか。
ふとそんなことを考えることがある。
では。
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