上方漫才界では既に重鎮の貫禄を持つ人気コンビ。右がカウス、左がボタン。
名前の「中田」から分かるとおり、「中田ダイマルラケット」('The Deep' in Osaka
旗揚げ時のこのコーナーで紹介済み)の弟子。
現在でこそ「ダウンタウン」等の若手漫才師には追っかけがついて回るが、この「カウス・
ボタン」こそが「漫才師追っかけを作った元祖」である。今をさること20年前は
カウスのしゃべくり。独特の柔らかい声で包まれ、当世おはやりの「かわいいっ!」という
表現がまさにぴったりきておった。にこやかにしゃべくりしながら、ここぞと言う時の
強烈な突っ込み。この落差がヤング(既に「死語」やな)に絶大な人気やった。
かたやボケのボタン。異論は多々あろうかと思うがなかなかのダンディ。ちょっと見も
二枚目で、俳優の「宅間信」に似ていないこともない。演技見え見えの大げさなボケは、
これまた当世おはやりの「かわいいっ!」の対象であった。
こんなことからこのコンビ、デビュー以来常に安定した人気を誇っている。
ところがコンビの運命はわからんもの。ボタンの方はとんでもない借金に追われるようになった。原因は多々あるが、「ボタンの多趣味」も原因の一つ。ハングライダーまで持っていたという。
反対にカウスの方は、若いうちから骨董品など割の良い投資をコツコツと行なっていたらしい。人にケチケチと言われながらもケチを通し続けた結果、上方漫才界でも有数の資産家となる。
Walterもある日、梅田の某喫茶店にてカウス師匠を見たことがあるが、大変に高価そうな
背広を着ておられた記憶がある。
そんなこのコンビ、もう既に大御所の雰囲気すら漂わせているにもかかわらず、大変な稽古熱心。ネタの打ち合わせも非常に入念であるという話や。漫才界に「爆笑王」の金字塔をうち立てたダイマルラケットの一番弟子として恥ずかしくないしゃべくり、ネタ繰りは、益々磨きがかかり1991年第26回上方漫才大賞を受賞している。
しかもかの漫才ブームでも、たった一度だけではあるが「THE MANZAI」に出演していることはあまり記憶されていないが特筆する。この時は事情で出演不可能となった漫才コンビの代りにピンチヒッターとして出演したように記憶しているが、「天才お遊戯少年」と言うネタで、ニューウェーブ漫才に負けない拍手喝采を受けたことを、はっきりと記憶している。
(その1)
ボタンが「風邪ひいて寝てた」という話で
カウス「薬は飲んだんかい?」
ボタン「さあ、それが飲んだんやけど効かへんねん」
カウス「そらおかしい。薬飲んだら効くちゅううのが道理や。」
ボタン「私もおかしいなぁ思うてよう調べてみたら」
カウス「ふんふん」
ボタン「私が風邪ひく前に、その風邪薬が先に風邪ひいとったんや」
(笑)
カウス「と、言うことはやね!」
ボタン「ほうほう!」
カウス「その風邪をひいた風邪薬に風邪をひいてない風邪薬を飲ませて風邪をひいた風邪薬の風邪を治しといて風邪をひいた君が風邪の直った風邪薬を飲むと風邪をひいた君の風邪が治るわけか?(ノーブレス)」
ボタン「・・・・・今、何言うた?」
(その2)
カウス「帰れ!それやったら。お前ら行くとこないねんからアホンダラ、まっすぐ帰れ!こら!。早よいね!アホ!ボケ!カス!」
ボタン「・・・あんたそない、ようくそカスに言うね」
カウス「肚立つやないか!アホ!。ドラム缶入って沈め!淀川へ!」
ボタン「・・淀川へて・・・・そんなこと金融屋にも言われたこと、ないわ」
カウス「(笑)・・お前、それ、私生活しょうみやないか!」