ろくちゃんという名の恋人に出逢えて ( kit ) 1987年2月。X68000という名のパソコンがこの世に登場した。 当時の僕はまだ中学生で、40万円もするそのパソコンは雲の上の存在だった。 そのちょうど一年後、8bit機の時代も終わるというのにあえて僕はX1turboZV を手にした。あの頃の僕は、まだ16bit機には手を出してはいけない、そんな気 がしていた。8bit機で、やりたいことをやり終えてから、限界を感じたときに16 bit機に移行しよう、そう思った。 X1turboZVでは、ゲームをするのはもちろん、自分でゲームを作ってみたり、 MMLでFM音源の曲を作ってみたり。使い勝手の良かったBASICと、新鮮に感じた PCGを駆使し、それでも辛いと感じたときには、少しだけマシン語をいじってみ たり。僕の中では、限界まで達していなくても、かなりのところまで遊んだなっ て感じがしていた。 現役が3年間という短い期間だったが(あ、今でもたまに動いてますよー)、 かなり濃い付き合いをしていたと思う。 大学に入学するとき、X68000を手に入れようと思った。当時、32bit機が出る とか出ないとか、そんなウワサが飛び交っていたが、8bit機の次は絶対16bit機 に移行すると決めていた僕は当時の新機種X68000 XVI-HD(CZ-644C)を買った。 その瞬間、「これでX1で出来なかったことが可能になるのか!」と期待で胸を膨 らませていた。 しかし、購入前の意気込みは消え去り、ゲームを作っても完成せず、C言語を やろうって始めても、一つだけ小さなプログラムを組んだだけで挫折。大学の卒 論にTeXを使ったことくらいしか、新たにやれたことがなかった。 いつのまにか、周りに68ユーザーもいなくなり、気が付けば新機種も出なく なっていた。 それでも唯一、僕はZ-MUSICで作曲だけをしていた。X1→X68と移行する際引き 継いだものといったら、この作曲環境の移行だけだった。 MIDIボードとメモリ(8M)だけ拡張させただけで、あとは曲作りしかしない マシンになってしまっていた。でも、それはそれで満足していた。X1とX68で併 せると300〜400曲くらい、詩と曲を書いてきた。別に何不自由することもなく、 8年間、パソコンを買いかえることもなく、ずっと、「ろくちゃん」という名の XVI-HDと生活していた。 それが、去年の暮れ、先輩からAT互換機を譲ってくれるというので、頂いて我 が家にネット環境が整った。そこで知ったのが、自分の周りに68ユーザーがい なくなっていただけで、まだほかにも使っている人達が存在していること。そし て、廃刊になって以来、全然気が付かなかった「Oh!X」が復刊されていたこと。 さらには、「電脳倶楽部」がまだ存在していたことだった。 全く気づかず過ごしていた。2000年の2月〜3月にかけて、その遅れを取り戻そ うと、愛機XVI-HDにCD-ROMドライブ、MOドライブ、1GHDドライブを一気に増設し てあげた。5年ぶりにろくちゃんにものを与えてあげたことになる。 「これで一人前になったのかな」って思ったのが今年の3月終わり。一通り今 出来る増設をしてあげて、なおかつ8年間一度もバックアップすら取らなかった データをMOに落としてあげて。さらにはWindowsとX68とでデータのやり取りが出 来る環境になり(ただ、OSがver2.02のため、ちょっと不自由だったが)、ひと まず落ち着いたと思っていた。 ところがそんな矢先、飛びこんできたニュースが「満開製作所、X680x0事業撤 退」。 …かなり呆然とした。せっかくCD-ROM載せたのに。せっかく今年になって、 「電脳倶楽部」の存在を知ったのに。そんな矢先の出来事で、ショックを受けた ことを覚えている。 さらにそれから1ヶ月後のことだった。 電脳倶楽部にHuman Ver3.02が掲載されていたので、VTwentyoneを使うために もこの際、OSをヴァージョンアップさせてあげた。6時間くらいかかったが。 完了後、なんかハードディスク読むの遅くなったなって思った。Ver3は、 X68030用で16bit機じゃ重たいからなのかな?って思っていた。 が、突然、ハードディスクを読まなくなり、読んでも不安定。気が付くと暴走 し、内蔵HDDが認識されないといった事態になった。 頭が真っ白になった。自分で作った曲をHP上で公開しようと立ち上げた瞬間の 出来事だった。 とりあえず修理に出そうと、購入した知り合いの電気屋さんに頼んで、シャー プのサービスセンターに持っていってもらうことにした。 それから、三週間が経ち、「部品手配不可の為、修理中止。未処理にて返却」 という連絡がきた。少しは予想していたことだったが、今まで作ってきた曲、狭 い世界ながらも8年間かけて構築した環境。このすべてを失うのかと改めて思っ たら、ものすごく悲しくなり、それと同じに、このままではいけない、という気 持ちが沸いてきた。 案の定、ネットが出来る環境ができたのが幸いし、情報を集めるのに必死だっ た。それと、たまたま5月の初め(ちょうど「フェスタ68」が行われた日)に、 友人がEXPERTを譲ってくれたので、代替機としてこれを使おうと想い、SCSIボー ド、MIDIボードを見つけ、環境を整えた。その環境が整った矢先、30分後には電 源が入らなくなった。たしかに画面は乱れるわ、途中で暴走するわ、電源落とし てもファンが回りつづけるわで、なんか不安定なマシンだなって思ってはいたの だが。 相次ぐトラブルが重なり、なかば諦めそうにもなったが、それでも必死で本体 を探していた。 ところが先日、偶然にも「なまこ通信」に限定ハードディスクの記事が載って いるのを目にし、ダメもとで問い合わせてみた。「XVI-HDの内蔵HDの代わりにな りませんか?」 自分ではもう諦めかけていたのに、その返事には「製品自体は外付けHDDです。 が、中身だけを用意することもできます」だった。 偶然だったのだろうか?「なまこ通信」に登録したのは、実は、EXPERTにSCSI 機器を繋げようとSCSIボードを探していた際、mach2を予約したのがきっかけだっ た。だが、その直後にEXPERTが壊れ、キャンセルした。もし、先にEXPERTが壊れ ていたら? きっと、僕はハードディスクの購入する機会は無かっただろう。 「なまこ通信」に登録することもできなかっただろうから。 いや、もっと遡れば、ネットに繋いで、満開製作所の存在、Oh!Xの復刊、その 事実を知らなければ、X68000 XVI-HDにMOなどの機器を接続しようなんて思わな かっただろうし、MOに繋げなければ、データのバックアップもとらなかっただろ う。今年に入ってからの一連の流れが、けして偶然ではなく、運命のように感じ る。 昨晩(6月11日)、ハードディスクの中身を送ってくれるというメールが届 いた。今日(6月12日)、ようやく、修理に出していたXVI-HDが帰ってきた。 ろくちゃんがいなかった約1ヶ月が、こんなに淋しいものだったなんて、8年 目にしてやっと気づいた。いつも、当たり前のように僕を出迎えてくれたろくちゃ ん。今はまだ傷ついて喋ることすらできないでいるが、もうすぐ、もうすぐ生き かえらせてあげるからね。 もう一度、ろくちゃんの笑顔が見れますように。 ------------------------------------------------------------------------ a-kit@s2.ocv.ne.jp http://www.geocities.co.jp/MusicStar-Piano/2268/ (EOF)