お遍路さん お遍路さんがゆく2

第4日目は高知西部へ
4カ寺と四万十川巡り

●少しは遍路らしくなってきたのか、白衣にさんや袋、それに金剛杖を持つその 手に気負いがなくなった。自らの恰好にテレや恥ずかしさも消える。出会うお遍 路さんと挨拶も交わせるようになっている。急げば土佐一国16カ寺も4日程で打 ち終えるが、我々は高知の良さをみなさんにお知らせする役目もあるので5日巡 りと決めたが、お陰で普段見慣れない視線で物事がみえたり、おや、まぁ、など と感じられることが多々あった。
「人はどうしてガツガツするんだろう」
「人はどうして怒り、罵倒するんだろう」なんて日常考えもしない事を哲学的に 思ってしまったりする。
考える浜口君

●第34番札所種間寺(たねまじ)は田んぼが広がる中にある。駐車場の横にある 土産物店をのぞくと、良いお話の貼り紙がされていたので紹介しておく。

『この世に客に来たと思えば何の苦も無い
朝夕の食事はうまからずとも
ほめて食べるべし、
元来客の身なれば
好き嫌いは申さまじ』

いいお言葉でしょう。ずっとお客の気持ちでいれば心も平静でいられるというこ となんですね。
●春野町に建つ種間寺は境内は余り広くはないが、歴史は古く本尊の薬師如来は 安産の仏様として近在だけでなく周辺まで広く知られている。また、別に子育て 観音のお堂も建立され、人々から厚く信仰されている。我々も子供の健康を祈願 して次の清滝寺(きよたきじ)へと向かった。
●途中、仁淀川を渡る。四国では四万十川、吉野川に次ぐ大きな川で霊峰・石鎚 山(1982m)を源に、10町村以上を貫く、豊かな川である。私はこの川の中流域、 紙の町で知られる伊野町を住まいとし、年中を通じてキャンプにカヌーにと遊び 場にしている。四万十川は最後の清流として有名だが、仁淀川もそれに匹敵する 程の美しさだと自負しているのである。まぁ、そんな自慢話はおいといて、第35 番札所清滝寺を目指そう。

カヌーの浜口君

●国道56号線が土佐市街へ入ると、案内板が見えてくる。そこを右折して寺へと 続く山道を行く。みかん畑の続く細い道を上がると大きな薬師如来像が目に飛び 込んで来た。本堂も太子堂も古い佇いだ。歴史的重さが感じられる。境内はうっ そうとした木々に囲まれ、何かしら有り難さを感じずにはいられなかった。その ことを友に伝えると、彼らも同様な気持ちにされたというのだ。私たちにもよう やく大師の霊験が交信されはじめてきたのだろうか。
●遍路行も4日目になると、お寺ので納経のマナーも手順も手際良くなり、読経 の度に心安らぐようになってきた。慌てず騒がず、会社勤めのスケジュールから 解放され、心も身体もゆったりとした時の中にある。
心静かに読経

「良いねぇ〜、うん人間だなぁ〜」と誰かが言うと、周りは「うんうん」と納得 げにうなずくばかりであった。山道を戻り南へと車を進め、宇佐の町に入る。こ こから横浪半島を渡る宇佐大橋周辺ではアサリ漁が盛んである。海に入って竿の ついた籠を操るアサリ漁の光景はこの辺りの風物詩となっている。
●横浪半島にはプールや遊戯施設の整備されたグリーンピア土佐横浪竜地区があ るが、この施設の北側に第36番札所青龍寺(しょうりゅうじ)が建つ。お寺まで の参道は傾斜のキツイ長い石段が続いており、高齢者や足の弱い人たちは、階下 から手を合わせて済ます程である。仁王門を過ぎ本堂まで石段を登り切る頃には 息が上がってしまう。本堂の後ろは木々が生い茂っているが、その頂上近くに奥 之院が建立されている。弘法大師が唐から帰国の時に東に向かって投げた独鈷杵 がこの地で発見され、唐の青龍寺を模して建立し、寺号も取り入れたのだそうだ。
きつい階段

●次の岩本寺へ向かうには、この横浪半島を行くが、太平洋に突き出た海岸沿い の明るい道は、南国土佐を感じさせる美しい景色が堪能できる。窪川町の第37番 札所岩本寺(いわもとじ)までは車で1時間程だが、歩くと17時間だといわれる。
1日8時間歩いても30km程だから2日がかりの距離となる。「オレ歩いてみるよ! 車停めて!」と私がやる気満々のマラソン選手よろしくドライバーに伝えるが、 返答はなく、車は相変わらず飛ばして行くばかりであった。再度言うが、「まぁ まぁ、今度にしょうやね!わがまま言わずにね」と相手にされない。私が歩くこ とで彼らの邪魔をするというのである。『せっかく人が燃えているのにー』と腹 立たしくなったが、次の瞬間にはやっぱり無理だわなと、自分でも納得していた。
歩いて遍路がしたい

●仕事をしなくても腹は減るんですね。岩本寺までの間に食事をしようと中土佐 町の大正町市場へ。ここは地元の漁師さんたちの獲る新鮮な魚が直接手に入るの で訪ねる人が多く、今は土佐沖の鰹を求める人たちでごったがえしていた。私た ちはその市場の入口に店を出すトコロテンを食べに行ったのだ。冷たいトコロテ ンが喉ごし良く、2杯を片付けると結構胃にこたえる。市場をのぞくと土佐のハ チキンおばさんたちの元気な声が聞こえる。「ニイサン、買うていかんかぇ、安 いきねぇー」と言われるが、今日のところはガマンガマン。早々に抜け出して、 また車を走らせる。
●岩本寺は、窪川の町中にある。最御崎寺と同じく、ここの宿坊もユースホステ ルを併設しているので、若いツーリストたちが定宿にしていると聞く。境内に入 ると、大勢のお遍路さんが納経をしている。ここを今日の宿舎にした人々であろ うか。思い思いに旅装を解こうとしている。まだ陽が高いので、我々は車で10分 程の地を流れる四万十川へと向かった。流程約196kmの四万十川は最後の清流 として、すっかり有名になり、全国からキャンパーやカヌーイストが訪れている。
しかし上流域に近い、この辺りは流れも早く、幅も狭いため見過ごす人も多いの ではないだろうか。訪ねる人もいない。しかし、ここから下流の中村市へと川沿 いに車を2時間程走らせると、蛇行しつつ流れる四万十の大河の魅力を味わいに シーズンには大勢の人々が訪れる。
四万十川は雄大

●しばらく川を眺めて岩本寺の宿坊へ入る。
●40人程のバスツアーの団体さんがいた。民宿と同じで隣との仕切りは襖戸だけ だが、男も女も何の不安もなく、一部屋に5〜6人がかたまり、荷物の整理をしな がら話こんだり洗面場では下着を洗う人など、それぞれが今日一日の身繕いをし ている。
●我々三人も旅装を解き、荷物を整理しはじめると、明日一日で土佐一国が打ち 終えるという安心感からか睡魔が押し寄せてくる。あと2カ寺になぜかほっとし てきたのだ。
●夕食に食堂に行くと、40人程の団体さんが食事の前の読経を声高に唱えていた。
先達さんの「食べ物に対する感謝は、仏様、神様に対する感謝と同じなんです。
合掌」が終わると一斉に食べはじめる。当然ビールも出されて、宴会風になって 行くが、話題は「今日のお寺での事」「明日巡る札所の由来」などのお遍路さん ならではの話題であった。
食べる前に合掌

●我々もビールで乾杯。料理がうまい。うまくなければおかしいはずだ。心に邪 念はなく、車を利用したとはいえ、札所ではよく歩くのだから、腹も減るし何で も美味しく感じてしまうのだ。
●知り会った歩き遍路の方(60歳ぐらい)に話を聞いた。岐阜県から1週間単位 で時間を作って八十八カ所巡りをしているとの事だが、「なぜ、歩きはじめたか? ってそんな事聞かれても分からないなあ。ただ歩いてみようと思ったら、やめら れなくなった」と言う。正直な方である。足に豆ができても毎日20kmは歩くとい う。「時々、お接待を受けるんです。お金であったり物であったり。車に乗れと いわれるのは少々困るんですけどね」。彼が言うにはいくら疲れても歩くことに 意味があり、車への誘惑が一番弱るという。地元の人の親切心は心に沁みるよう だ。でもこの人なんかは楽しんで苦しみに向かっている。うらやましくもあった。
●40歳は人生の折り返し点を迎え、仕事も家族も、そして自らの健康にも何らか の変化が生じる時期だ。「自分は、人生は、これでいいのか」という不惑ではな く、青白い青年のように「生きる。生き方を再考してみる」エイジかも知れない。
そんな時間を持つには、遍路巡りは最適ではないかと思われる。私自身がちょう どその世代であり、前向きに歩くためにも一時でよい、立ち止まり考える時・空 間を持ちたいと願っていたのである。歩き遍路さんとの話は尽きなかったが、明 朝も早いので早々に風呂に入り寝床へ入る。
早寝

最終日。
心も晴れやかに、爽やかに起床

●ここ5日程は、早寝早起きで食事もうまく、よく食べる。連れの二人もガッシ ガッシのワッシワッシと朝から健康そのもの。ここの宿坊には巡拝用品が数多く 揃っている。「これえーなぁー、これも」とトシヒコは最後の日になって数珠や 納札などを求めている。彼は今回の取材のために、確かに写真を撮ったり、ビデ オをまわしたりはしていたが、納経はまじめには取り組んでなかったようだ。早 朝の境内で線香を上げて鐘をつく。心も身体も晴れやかそのものだ。「さぁ、次 へ行こうぜ!」と我らは一路土佐清水市を目指した。
買い物をしたトシヒコ

●土佐清水市の第38番札所金剛福寺(こんごうふくじ)まで車で2時間弱。途中 四万十川の下流を渡ることとなる。ここ中村市は小京都と呼ばれ、古くから高知 県西部の都市として栄えてきた。今は四万十川をステージに「水泳マラソン」や、 ゴムボートでの川下り「シ・マムタ」(美しい川という意味のアイヌ語)、「10 0キロマラソン」などの全国発信のイベントも活発に行ない、海外へもインター ネットで情報発信している。また、四万十川の沖にはクジラが生息していて、大 方町などでの「ホエールウオッチング」ツアーは世界的に知られてきている。
●土佐清水市の街から岬へと向かう。太平洋の激しい波と風を受ける四国最南端 の地だ。金剛福寺は亜熱帯の植物群の中に建立されていて境内も広い。その周り には土産品の店やホテルが多く、観光地でもあるのだ。大師ゆかりの史跡が遊歩 道のポイントポイントにあり、じっくり時間をとって回りたいところである。
亜熱帯の植物が広がっている

●足摺岬を北上して宿毛市へ向かうと土佐国「修行の道場」も最終の延光寺であ る。やっと打ち終えるのかと思うと感動モンであった。仕事も家族もしばらく忘 れ去っていたが、ようやく自覚されてくる。「もうちょっとこの時間を持ちたい」 という一方で、「いろいろ考えたから、さあ日常の社会生活へ復帰しょう」とい う二つの心が揺れ動いているようでもある。
さあガンバロウ

●海岸沿いから山間へと景色が一変すると、第39番札所延光寺(えんこうじ)。
薬師如来を本尊とする境内には、赤亀の石像が安置されていてユニークである。
また、水不足を解決させたといわれる大師の「目洗い井戸」は今も良い水が湧き 出ていて、納経を終えたお遍路さんがうやうやしく使っていた。
●本堂に向かい、土佐一国の打ち終わりを報告した。ふっと納札所をのぞくと、 80回目、90回目と書かれた2枚の金札が目についた。名古屋と岡山と書かれてい る。山門で出会った方だろうか。正装に菅笠でお顔は見られなかったが、常人を 超え、お大師様と供にいる方たちであろうかと思われた。
ついて行きたい思いもあるが、そうもいっていられない。さぁ、我々は帰ろう。
高知市へはここから約3時間30分だ。
●宿毛市から中村市を経て、高知市へ行く途中、佐賀町においしい「うどん屋」 がある。お遍路さん御用達といってもよく、味もボリュームも満点でここで昼食 をとることにした…。
うどんを食べる

※4泊5日も休みが取れない方は東部5カ寺とか、中央部5カ寺などと週末(1泊2日 とか2泊3日)を利用して数回にわけて巡るのも実践的かもしれない。時間がとれ れば四万十川や太平洋に浸る一刻が土佐の魅力となるでしょう。
お遍路さんがゆく1へ