| お遍路さんがゆく1
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さぁ、4泊5日の遍路行。
第1日目は室戸岬で大師に出会う
●高知市から国道55号線を東へ約80km。車で2時間程で室戸岬だ。台風銀座で知
られる通り、岬の突端は年中風が強く吹いているが、この日は風は穏やかで、ま
た、雨上がりのため、空気も爽やかだった。空海の修行の地、御厨人窟や青年大
師像を訪ねた。大師像は19歳の頃の大師のお姿だといわれるが、りりしいお顔で
ある。御厨人窟の洞内はひんやりとして、雨の滴が垂れて、あまりいい環境では
ないが、当時の大師の修行の厳しさが伺われる。岬の浜に出ると、亜熱帯の植物
が茂り、青い海と青い空が一体となり、寄せる波間から水平線が見られる。この
地で真言を唱えつつ、明けの明星から仏教の悟りの第一歩を歩みはじめられた空
海さんの当時が偲ばれるのである。

●その晩は、第24番札所最御崎寺(ほつみさきじ)の宿坊へ泊まった。岬の山の
上にあり、境内は広い。この宿坊は、お遍路さんだけでなくユースホステルと併
設しているので、若いバイクでの旅行者も多いらしいが、この日は我々だけであ
った。広くて清潔な風呂に入り、食堂へ行く。料理はなんと皿鉢料理(高知の名
物料理)と鰹のタタキであった。「これはスゴイ!」と喜び、般若湯(お酒のこ
と)も注文して、ワッシワッシとごちそうになった。宿坊というイメージでは、
精進料理と思っていたので、感動しつつ明日からの遍路行を話し合ったものだ。

●そこへ住職夫人が現れ、遍路のいわれや注意事項を語ってくれた。「最御崎寺
はお大師様の開創された修行の地でもあり、お遍路さんにとっては大切な地なん
ですよ」「昔は道らしいものもなく険しくお遍路泣かせの場所だったんですね」
車で移動する現代と違って、昔の人々の信仰の厚さ、苦労を語ってくれた。今も
歩くと土佐一国だけで18〜20日程を要するという。住職夫人の話に、「そうなん
ですか。」と神妙になる。いいお話をたくさん伺ったものの、明日からのことで
緊張したのか三人とも部屋に帰って早めに床についた。
2日目。さぁ、お遍路に出発だ。
●前の晩、「朝6時30分からのお勤めは絶対に出ようね。だから6時に起きよう。
」と言いつつも翌朝は遅刻。あわてて本堂へ飛び込んでいったが、動揺する心も
本堂に座し、住職の読経を聞くうちに心も身体もシャキッとしてくるのであった。
住職夫人の御詠歌は心地良い響きで聞く者の気持ちを穏やかにしてくれる。

●お勤めの後、食事。宿坊の休憩室には訪れた人々のメモが残されているが、み
んな真摯な気持ちが込められており、遍路行の感激とまた、厳しさが伝わってく
る。納経帳に墨筆と朱印を頂き、次の第25番津照寺(しんしょうじ)を目指して、
遍路行をスタートとした。
●岬を西へ大きく回ると、室津の漁港がある。その漁港を見下ろすように建つの
が津照寺である。テレビでスポーツ系の学生が足腰を鍛えるシーンでよく見受け
られるような石段は、まっすぐ本堂に向かう段差の急な階段道である。仁王門を
抜け、その石段に取りつこうとして人に呼び止められた。「久し振りですね」と
声の方を見ると、数年来会っていない友がいた。
●友はニコニコと笑っている。「お遍路をしている」と言うと、「そんな年なん
だなあ〜」と言い、バイクに飛び乗って『忙しくてね、又会おう』と、あっとい
う間に仕事に出掛けていった。

●このお寺は、漁業の町、室戸の漁師たちから、海上安全の厚い信仰があり、地
域住民に親しまれている。無事納経を済ませ、第26番札所金剛頂寺(こんごうち
ょうじ)へと車を走らせた。
●今回の遍路行は3人。それぞれがお大師様とともに巡っているので同行6人とは
言わないが、このホームページのために、トシヒコ、タノウエの2人が参加して
いる。トシヒコは、この遍路行の間ずっと運転手をかって出て、またビデオを回
し続けた。タノウエは、イラストレーターとして、各寺、史跡などの筆絵を描く
のであるが、どちらかというと八十八カ所巡りを心より楽しんでいるようであっ
た。
●金剛頂寺へは、車で30分程かかるので、何かと談笑しつつ行くが、私以外、彼
らは初めて。さんや袋と金剛杖だけは購入したが、白衣や数珠はまだ持っていな
いという半人前のお遍路である。
「何か遍路って楽しいというより、心が安らぐね」などと口だけは一人前の心境
となっている。

●国道から外れて案内看板とともに進むと、高台の上に金剛頂寺の駐車場がある。
駐車場で高知名物のアイスクリンが売られていた。ほお張ると甘く、ほてった喉
に心地よい。巡拝用品も扱っており、線香などを調達する。石段を登ると、広々
とした境内が見えた。うっそうとした森の中に本堂が建てられ参道から広がる境
内は静かな佇いである。
●お遍路は3〜5月末、9〜11月の春秋の天候の安定した時期がシーズンである。
我々は6月になって出掛けたから、訪れるお遍路も少なく納経所も順番待ちをし
なくてすんだ。ピーク時には大型バスの団体さんとかち合い、納経だけで30分も
待たされることもある。この日は若い娘さんが朱印をしてくれた。若い娘とお寺、
そして納経の筆文字はアンバランスでありながらも、どこか心踊る奇妙な心理を
もたらしてくれた。映画『砂の器』にこんなシーンがなかったかしらん、と思い
つつ、境内を一巡して、クジラの資料館を探したが、「今はございません。国道
沿いの道の駅(キラメッセ室戸)に併設されます」とくだんの女性。捕鯨の
町としても知られる室戸で、捕られたクジラを供養する塔は変わらずあったが、
捕鯨の町も今は「保鯨」の町としてマッコウクジラ、オキゴンドウクジラなどの
生息地として知られ、ホエールウオッチングで世界的に有名になってきた。

クジラのお寺を離れて
一路第27番札所神峯寺へ。
●最御崎寺から金剛頂寺までの3カ寺は室戸市にあるので、巡るのにそれほど時
間は要しないが、次の神峯寺(こうのみねじ)までは、車で約1時間30分。しか
し、歩けば10時間といわれる。「いやぁ、車とはなさけない。次に回る時は歩こ
うぜぇ!」と誰かが言い、「そうだね」と相づちは打ったものの、『いやぁ、車
で良かった』と心の中では思っていたのであった。
●国道55号線の海岸道路を西へとひた走ると、酒の町として知られる安田町に着
く。脇道へ入りクネクネした険しい山道を登り切ると、景色も一変する。ここか
ら見下ろす太平洋は美しいのだ。大師もこの光景を楽しんだであろうか。道中で
歩き遍路に出会ったが、一生懸命に大師の宝号(南無大師遍照金剛)を唱えつつ、
急な、しかも遠い山道を歩いてゆくのである。その姿に車で行く身としては後ろ
めたさを感じつつも、うらやましくも思われるのであった。ここは土佐一番の難
所の聖地である。辿り着いた寺院には、手入れの行き届いた庭園があり、疲れを
忘れさせてくれる。

●参拝を終えると、再び、国道までの長い山道を下り、次の第28番札所大日寺(
だいにちじ)を目指すが、途中安芸市で一休み。本当に車は快適であり、便利な
道具だと改めて感心したものだ。日常を離れ、俗世界との交流を遮断しつつも、
日常社会の有り難さを享受しているのだから、まるで修行とは程遠い気がしてく
る。
●安芸市は高知県東部の拠点として、古くより栄え、今も武家屋敷の町並みを残
す歴史の街である。主人の手作りといわれ100年以上も時を刻む「野良時計」は
数年前、NHKの朝ドラで全国的にも知られている。田園風景の広がる一角の茶房
で少し遅い昼食を済まし、野市町の大日寺へ。
●大日寺周囲には、維新の頃活躍した坂本龍馬を研鑽する「龍馬歴史館」や、日
本三大洞の一つ「龍河洞」があり、お遍路だけでなく観光用のバスも往来してい
る。苔むした遍路道の石段を登り山門を入ると、熱心なお遍路の団体さんが一心
に真言を唱えている。般若心経の読経がまわりの木々に溶け込んでゆくほど静か
である。私たちも一応経本を取り出して唱えてみるが、言葉がひっかかり、うま
く口にできないのだが心は平静になるのを感じていた。

●2日目は、ここ大日寺で打ち止めにして、「龍馬歴史館」をのぞいてみる。龍
馬の生涯をロウ人形で再現しているが、かなりのリアリティで迫って来る。おど
ろおどろしい血に染まる世界を描いた土佐の異端画家・絵金の芝居絵も見られる。
ここへはぜひとも足を運んでもらいたいものだ。
●車での移動とはいっても100km以上となれば、結構身体に応える。疲れるとい
ってもランニングの後の心地よい疲労感とでもいうのか、この日は各自家に帰る。
私たちは家路へと向かえるが、県外からの方は高知市内で宿泊してほしい。早め
に宿に入り、はりまや橋へ、そして繁華街をのぞいてみて欲しい。せっかくだか
ら、土佐の中心地を知り、地元料理に舌鼓を打つのも旅の楽しみ方のひとつ。ゆ
っくり楽しんだ後は早めの風呂に早めの床へどうぞ。

3日目は高知市周辺。札所だけでなく
桂浜やお城へも足を伸ばす
●さぁ、3日目の朝。本来は前日打ち止めにした札所に再度向かい、そこから打
ちはじめるのがマナーらしいが、「まぁ〜ええやろ」的な我々は第29番札所国
分寺(こくぶんじ)を目指した。ここは建立が739年というから、歴史も風格も
堂々としている。こけら葺の本堂や仁王門に伝統を感じる。周辺は「土左日記」
の作者紀貫之の元住まいなど当時の史跡があり、散策やハイキングなど四国の道
のコースにもなっている。「土佐のまほろば」と呼ばれるこの一帯は田園地帯が
広がり、その中を歩く白装束のお遍路さんは一服の名画にもなる。「我々も早く
歩いて回りたいね」と心なくもカッコイイお遍路姿にあこがれているのであった。

●第30番札所善楽寺(ぜんらくじ)へは車で30分弱で到着した。ここは延喜式に
も述べられている土佐の一の宮「土佐神社」の別当として栄えたようだ。しかし、
明治時代初頭の神仏分離令によって、廃寺とされたりして、つい最近まで30番札
所は安楽寺(あんらくじ)とここ善楽寺の2カ寺が指定されてきた。本尊が移さ
れたり、戻されたりと混乱の時期があったようだが、平成6年以降はここを30番
に、安楽寺は奥之院と決まったのである。
●あまり広くない境内に、新しい本堂と対照的に大師堂は古刹のおもむきがある。
以前、70歳過ぎのおじいさんに見せて頂いた納経帳は、真っ赤に朱に染められて
いた。数十回となく八十八カ所を巡っているのであろうが、その動作はキビキビ
と修験者風であった。反面その表情は仏様のようにとても柔らかに見えたものだ。

●高知市には善楽寺と竹林寺、雪渓寺の3カ寺がある。その間はそれぞれ車で30
分程だ。国道32号線を南下すると、高知市街へ入る。車も増え、交差点は渋滞ぎ
みとなり、メインストリートを路面電車が走るレールが付設されている。これが
有名な世界の電車を集めたチンチン電車だ。現在ノルウェー製、オーストリア製
の他、明治の頃の電車を復元した維新号も走っている。時間があれば一度乗って
みて欲しい。そんなことを考えている内に浦戸湾近くまで来た。第31番札所竹林
寺(ちくりんじ)までもう一息だ。
●高知市五台山。風光明媚な高台で、春は桜の名所として高知市民に親しまれて
いる。この五台山の山頂に建立されている竹林寺は、観光名所として県内外から
訪れる人が多い。近くに世界的な植物学者の牧野富太郎博士にちなんだ植物園も
あり、小学生らの遠足コースともなっている。竹林寺は四季を通じて美しいだけ
でなく、雨が降れば、またしっとりとして風情がある。境内には五重塔や宝物館、
庭園もあり、ゆっくりと時間をかけて巡りたい寺である。「よさこい節」に歌わ
れる僧・純真がいた寺としても有名で、そのストーリーを解説するバスガイドさ
んの口調は哀れに、もの悲しく語りかけてくる。観光地では団体さんに紛れ込み、
ガイドさんの話を聞くのが上手な旅行者だ。

「前から知ってた話だけど、よさこい節って悲しい話やねぇ〜」とトシヒコ。彼
は凝り性でアウトドアに関心を持ちはじめた時、会社のFAXを利用してはビーン
社のカタログ通販を利用して、アメリカから直輸入でテントやシュラフを買い集
めた強者である。あとで上司に「遊びと仕事は別だ!」とこっぴどく叱られたそ
うだが、凝り始めるとスポーツ車が四駆のRVになるし、カヌーは買い求めるし、
すごいのである。その彼は「悲しいねぇー」と言って、お寺の巡拝用品の中から
一冊の巡拝紹介冊子を購入していた。そこには純真・お馬の恋物語が詳しく書か
れていたのだった。
●竹林寺は山門を下りると食堂がある。お遍路さん御用達とばかりに足を休める
団体さんもいる。「軽くやろうよ!」と丼とビールを注文して、ようやく一国巡
りも半ばに達したことを喜び感謝した。 室戸から西へ西へと札所は連なるが、
なぜかここ竹林寺から次の第32番札所禅師峰寺(ぜんじぶじ)は一端南東へ戻る
ことになる。広くはないが快適な道路を進むと、途中、維新の頃、坂本龍馬とと
もに活躍した武市半平太の生家跡があり、ちょっと見学する。昔の豪農の佇いで
あった。
●禅師峰寺へは急な坂道を登り、山門をくぐると眼下に土佐湾が見渡せる。龍馬
像の立つ桂浜と急ピッチで進む高知新港(平成9年度開港の高知の新しい玄関口)
の工事現場、それにビニールハウスが並ぶ。このビニールハウスが土佐平野部の
特徴的な農業施設だ。促成栽培のため、このハウスの中では野菜だけではなく、
メロンやスイカ、ミカンなども作られている。だから、土佐ではメロンもスイカ
も年中食べられるというわけだ。

●土佐湾沿いの道路を西へと走ると浦戸湾へと向かう。以前は渡し船しかなかっ
たが、今は立派な大橋が出来て桂浜へも近い。桂浜で龍馬像に対面して近くの龍
馬記念館へ。年間を通して全国から龍馬ファンが押し寄せる坂本龍馬の聖地でも
ある。この施設には龍馬の全てが収められているといってもよい。我々同行六人
も何度となく訪れては、龍馬の印象を新たにされるが、その雰囲気にひたってい
るとお遍路さんを忘れさってしまっていた。ここでは金剛杖やさんや袋も異様に
しか写らないだろう。
●一休みもそこそこに第33番札所の雪蹊寺(せっけいじ)へと向かう。ここは町
中の住宅地にある。札所以外を寄り道しつつもここ雪蹊寺で今日も打ち終わりだ。
山門を入って右手に鐘楼、大師堂、本堂があり、その前で熱心に読経する5〜6人
の団体さんがいた。話を聞くと名古屋からタクシーを借りきってやってきたそう
だ。10日程の日程で、四国を巡るので慌ただしいが、山間をくぐり読経すること
で心がやさしくなれるという。「仕事上で、部下をしかったり、けなしたりする
自分が馬鹿馬鹿しく思えるんです」と50がらみのおじさんが語ってくれた。我々
も納経をして今日の日程を終えた。3日目となると少々疲れもたまってきている。
やっぱり早めの夕食、早めの寝床に、長めの睡眠が八十八カ所巡りのコツである。
