オリンピック史上最年少の優勝者は、はっきりとしていません。
ポーランド出身のフランソワ・ブランツ、ロルフ・クレインを 
ヘルマナス・ブロックマンはかじ付きペアの漕艇競技の予選を 
勝ち抜きました。しかし、当時、キリスト教を母体とするシラ 
キュース大学に在籍中だったブロックマン選手は、安息日に行 
われる試合に出場することを大学側に禁じられてしまったので 
す。そこでそのコックスンの役目を若いフランス人の少年と交 
替させました。少年の年齢は判っていませんが、7 才から10才 
の間と推定されています。この新しく結成されたチームは辛く 
も優勝しましたが、彼らが表彰台に登る前に、若いコックスン 
はパリの街中へと姿を消しました。表彰台に立ったのは、陸上 
から観戦したブロックマンでした。 
オーストラリアのフレデリック・レーンの200m
自由形の優勝タイムは、驚異的だと思われるで 
しょう。レーンは自己の持つ世界記録を13秒も 
縮める速さで泳いだ上、3人のメダリスト全員が 
揃いも揃って世界記録を少なくても6秒以上破っ 
たのです。しかし、こんな記録が相次いででた 
のには、それなりの理由があります。実は、こ 
のレースはセーヌ川で行われ、水泳競技者は川 
下に向かって泳いだのです。 
マラソンの優勝者は名前をミッシェル・テアトというパン屋の配達人
でしたが、39°C もの酷暑の中での過酷なレースを勝ち抜きました。 
不幸なことに、他の競技選手達同様、彼はパリのオリンピック大会と 
万国博覧会がよく分かっていませんでした。20年後の1920年になって 
彼は自分がオリンピック・チャンピオンであったことを、ようやく 
認識したのです。