選手が大会前に性交渉を絶つことは今や常識になっています。この慣例
に従っている人たちが考えさせられる出来事が起こりました。B.ビーモ 
ンも例に漏れずずっとそうしてきましたが、走り幅跳び決勝の前日に限 
って、彼はその習慣を守らなかったのです。そして、おもしろい「実験」 
結果が出ました。次の日、ビーモンは走り幅跳びで世界記録を55cmも上 
回る8m90という好記録を出したのです。彼が出した脅威的な記録は今も 
史上最高の評価を失っていません。 

ケニア代表のA.ビウォットが見せたテクニックは人々、特に
専門家たちにインパクトを与えました。3000m障害でのこと、 
彼は水濠で木枠に着地し、水に浸かることなく競技をおえた 
のです。この作戦はうまくいきました。ビウォットは濡れず 
にすんだばかりか、金メダルをも手に入れたのです。 


1964年の東京大会で自転車競技のチーム・タイム・トライアル種目銅メダ
ルを制したスウェーデン勢。その4人のメンバーのうち、3人が血のつなが 
った兄弟でした。ペタソン家の長男ゴスタ、次男ストゥア、そして三男エ 
リックがそうでした。メキシコ大会では、四男のトーマスがチームに加わ 
り、今度は銀メダルを獲得。義理堅いこの「兄弟 4人衆」は、生まれ故郷 
の村にちなんで名字をファグラムに改めました。 


メキシコ勢は、開催10日目にして未だ金メダル 0。応援する
ファンたちは落ちつかない気持ちで競技を見守っていました。
全国民の期待は水泳選手F.ムノズの双肩に掛かっていました。
そして、ムノズはその期待に見事に答えました。 200m平泳 
ぎ決勝で世界記録保持者V.コシンスキーを1/2秒という際ど 
い差で下し、メキシコに初の金をもたらしたのです。熱狂的 
なファンたちにプールから濡れたまま連れ出されたムノズは、
アリーナ内を人から人へと担ぎ回されたのです。それを止め 
ようと人混みに割って入ったコーチのR.ジョンソンは、逆に 
彼らに水の中に放り込まれてしまいました。