事はレスリング競技グレコローマンスタイルのライトヘビー級
決勝戦で起こりました。スウェーデンのA.アールグレンとフィ 
ンランドのI.ボーリングの一戦は9時間も続けられたのです。 
結局、試合は中断され、両者は引き分けに。オリンピック委員 
会は、優勝者を一人に絞れないということで、二人に「銀」メ 
ダルを与えました。しかしながら、これが最長の試合ではあり 
ませんでした。ミドル級の準決勝はなんと10時間15分に亘った 
のです。この時の勝者、エストニアのM.クライン選手は、準決 
勝で極度に体力を消耗してしまい、決勝に出場できないほど精 
根尽き果てていたということです。 
ストックホルム大会で最も華やいでいた選手といえば、ハワイ出身
の水泳選手D.カハナモク。王族の一員だった彼の名前は、当時ハワ 
イ諸島を訪れていたエディンバラ公爵にちなんで"Duke"と付けられ 
たのでした。カハナモクは100m自由形で優勝し、名前負けしていな 
いことを証明しました。彼はのちにサーファーとして名を馳せ、溺 
れかかっていた12人のひとを自分のサーフボードで救出したことも 
ありました。のちにカハナモクはハワイ州の司法長官及び市の儀典 
長に選出され、1968年に行われた彼の葬儀には15,000人もの参列者 
が出席したとのことです。 


近代五種競技に出場した選手の中にアメリカの若き中
尉がいました。射撃で21位に終わった彼は、メダル争 
いから脱落しました。しかし、戦場では様相が違って 
いました。第二次世界大戦で陸軍大将として名声を得 
たのです。その人の名は、G.パットン。射撃種目で敗 
戦を喫したパットンでしたが、厳密な意味での敗者で 
はありませんでした。彼によると敗因は、弾をその直 
前の弾痕に打ち込んでしまったことにあるというので 
す。