旧ソビエトの重量挙げの選手、バシリー・アレクシェフ
はミュンヘンとモントリオールの両大会の無差別級で3 
つの金メダルを獲得する大活躍を見せてくれました。そ 
の大活躍の裏にはこんなエピソードがあります。彼の毎 
日、朝36個の卵、昼には6枚のステーキと10リットルの 
ビールを、夕食にはまた6枚のジューシーなステーキと 
10リットルのビールをたいらげ、体に溢れんばかりの 
パワーを蓄えていたのです。 



フィンランドの陸上選手、ラセ・ビレンは5000mと10000mのスペシャリストとして、ミュンヘン大会以来
そのタイトルを欲しいままにしていました。1952年には、あのエミール・ザトペックの偉業に挑戦するた 
めに生まれて初めてマラソンに出場し、陸上三冠王を目指しました。結果は残念ながら5位にとどまって 
しまいました。 


旧ソビエトのフェンシングの選手 、ボリス・オニチェンコは、剣に小さな仕掛けをつけてポイントを稼ごう
としました。もちろん失格になり、”ボリス・ディス(失格)・オニチェンコ”という悪名がついてしまっ 
たそうです。