柔道の正式種目への採用は、開催国である日本にとって、喜ばし
いことでした。日本の柔道が世界を圧倒すると当時みんなが思っ 
ていましたが、外国人選手が無差別級の金メダルを手にしたので 
す。6フィート6インチもあるオランダのA.ヘーシンクが破竹の勢 
いで勝ち上がり、日本の人気選手神永昭夫を破り世界を沸かせま 
した。そして、東京オリンピック以降、日本人も外国人選手に声 
援を送るようになります。ヘーシンクは誰もが知るスポーツ選手 
になりました。 
オーストラリアの水泳選手、D.フレーザーは、過去2回連続100m
自由形に優勝し、この東京で3回連続優勝を目指していました。と 
ころが、この年の3月、彼女は悲劇のどん底に突き落とされてしま 
います。運転していた車が事故に遭い、母を亡くし、彼女自身も 
脊椎を骨折するという大怪我をしてしまいました。しかしその後、 
6週間のギプス生活を経て、10月の東京大会に参加、見事優勝し、 
史上初の3回連続個人水泳種目優勝を成し遂げたのでした。