1936年大会で特にこれといった成績を残すこともなく、
その後、二児の母となり、第二次世界大戦を生き抜いた 
オランダのF.ブランカース・クン。今大会、クンの金メ 
ダルは年齢的に難しいというのが専らの意見でした。し 
かし、このオランダの肝っ玉母さんは、戦時中に高跳び 
と幅跳びの両種目で世界新をマークし、オリンピック大 
会では類まれなる選手として女子陸上界に名を残すこと 
となったのです。100m走、200m走、4x100mリレー、80m 
ハードルの 4種目を制し、金メダル獲得数で個人通算最 
多記録を達成しました。当時、女子の参加種目は 4種目 
に制限されており、もし幅跳びに出場していれば、間違 
いなく 5個目の金メダルを手中に収めていたことでしょ 
う。今大会、幅跳びの優勝者が出した成績はクンの持つ 
世界新記録に56cmも足りていなかったのです。 
1930年代、ハンガリーのK.タカックスは、世界トップクラスのピストル
射撃選手と考えられていました。ワールドチャンピオンの座に君臨して 
いたハンガリー射撃チームに籍を置いていた彼は、兵役中に手榴弾が右 
手に命中し、黄金の右手が使い物にならなくなってしまったのです。 
1年間の闘病生活を終えたタカックスは右手の代りに左手を使うことにし、
1948年にラピッドファイヤーピストル射撃で金メダルを獲得。続く1952 
年大会でも同種目を制し、二連覇を成し遂げました。