日本の西竹一選手(通称= バロン西)は馬術競技で優
勝。しかし、後にスポーツとは全く異なる分野で、そ 
の名を世に知らしめることになったのです。太平洋戦 
争中のこと、東京の南約 1300キロの太平洋上に浮か 
ぶ硫黄島がアメリカ軍の攻略目標となり、西隊長率い 
る戦車隊はその島で戦闘状態に入ったのです。大激戦 
の末、戦況はアメリカ軍有利に。降伏するしかほかに 
道のなかった日本軍は、西隊長の指揮のもと集団自決 
したのでした。 
ジョージ・ロスがオリンピックに参加した目的は、メダル獲得ではありませ
んでした。もっとベーシックなもの。何とその目的は「食べ物」だったとい 
うのです。大恐慌の煽りをまともに受け、ロスは失業。家族は餓死寸前でし 
た。選手村でロスは,妻と赤ん坊のためにせっせと食糧をため込んだのです。 
何の気負いもなく試合に出場したロスは、体操のこん棒で金メダルを獲得。 
試合終了後、沸き立つスタンドを背にヒッチハイクで家路についたのでした。 


オーストラリア代表で200m走20秒6の世界記録保持者 
ジェームス・カールトンはオリンピック期待の星でした。 
しかし、大きなハプニングが起こりました。なんと、カールトンは 
オリンピックに姿を現わさなかったのです。カールトンは 
修道院に入り、修道士として全く別の人生を歩み始めていたからです。 

当時、インドは「ホッケー強国」として君臨していました。 
オリンピックでも圧倒的な強さを見せ、32対2という大差で 
日本、アメリカに圧勝。しかしインド勢にも裏話がありまし 
た。大会に先だってオリンピック代表団は、米国までの渡航 
費を捻出しようと苦心。宗教指導者であり社会改革家である 
マハトマ・ガンジーに寄付を申し込んだところ、返ってきた 
返事は「ホッケーとは何ぞや」だったというのです。