Panasonic Pavilion 20世紀から21世紀へ


--- 新しい肉体の神話と美学5/4

伊藤:レニの映画が象徴的です。彼女の映画の中に例えばこんなシークエンスがあります。突然目の前に古典時代のオリンピア競技場の遺跡が霧のなかから浮かび上がってくる。ギリシャの神殿や彫像が通り過ぎていき、アキレス、メデューサ、ゼウス、アポロとかが次々に現れ、ミロの円盤を投げる男が血と肉でできた生身の人間に変身してスローモーションで円盤を振り回し始める。ほかの彫像も生身の肉体に変わっていく。神殿の前で例えば踊り子に生まれ変わったり、人間が炎と化したり、それがオリンピックの聖火になってゼウスの神殿から現代のベルリンに運ばれてくる、といった内容です。レニは、要するに古代から現代に橋渡しをするそのイントロ部分を重要なポイントとしていたと思われるのです。彼女は現実のオリンピックを記録しようとしたわけではなくて、20世紀の新しい神話世界をイントロで提示して、それを全体の基調にしようと目論んでいたのではないでしょうか。オリンピック競技とか、アスリートたちの肉体は彼女が思い描いた新しい神話的世界の重要なファクターになっていて、よく見ていくと100m走で優勝したジェシーオーエンスとかそういう人たちの肉体は、彼女のなかである神話的な意味合いをおびていたようです。人間の臨界点を写して、もはや人間の肉体ではないというほど完璧で美しくて、常に人間の肉体を超えていくある種のイメージを出していたのです。市川昆の映画『東京オリンピック』もそうだったと思いますが、映像化されることによって、新しい肉体神話を人々にも印象づけていったのではないでしょうか。そこでは、エロチシズムも変わっていき、新しいエロスが次々とつくられていったと思われます。だから、そこにおいては、いままでみたいに男の肉体・女の肉体という区分けは意味をもたなくなっていくとか、男の肉体と女の肉体が絶妙なバランスで混ざりあった新しいエロチシズムがそこに醸成されていくとか、ひとつの民族の肉体ともうひとつの民族の肉体が融合していくような肉体のイメージが描かれるとか、人間と動物が共存しているようなある種の身体性がそこで出されるとかの20世紀的なエロチシズムの萌芽があり、それはレニの場合ヌバ族の写真とかにつながっていくのです。彼女がオリンピックでの跳ぶ肉体、走る肉体、旋回する肉体とかを提示することは、新しい美意識なり美の感覚の提示でもあったわけです。それがもっとも効果的である場所が、オリンピックという装置だったのです。20世紀において肉体の神話とか美学とかを提示しうる場としてのオリンピックがうまく機能していったという気がするのです。



home page

<TABLE ALIGN="right"><TR><TD><FONT SIZE=-2> <A HREF=" ../index01.html">HOME</A> | <A HREF="02.html">INTRO</A> | <A HREF="0203.html">BACK</A> | <A HREF="0205.html">NEXT</A> </FONT></TD></TR></TABLE><BR CLEAR=ALL><HR> Copyright(C)1996 MATSUSHITA ELECTRIC INDUSTRIAL CO.,LTD.