1900 Paris

 19世紀前半の1837年にパリのサン・ラザール駅から西北郊外のサンジェルマンへの最初の鉄道が開通して、 フランスに鉄道の時代が始まったわけだけど、当初はたった19キロだったのが1851年にはイギリス海峡の海 辺の町ル・アーヴルまで路線が伸びた。
 印象派の絵描きさんもこの列車に乗って、海辺の風景を描いて、大いに鉄道旅行熱を煽ったらしいね。
 それでパリっ子たちも休日の汽車旅行に目覚めたという寸法でね。
 そのうえ1857年になると、パリからリヨンを経由して、地中海に達するPLM鉄道が開通し、もう昔のように 馬車を乗り継いでの苦労の多い旅じゃなくなったから、北フランスの連中が太陽でいっぱいの地中海へ、ヴ ァカンスにくり出す時代が来た。
 鉄道というのは、いわば走る宿みたいなもので、時間がかかる移動だから人間はその途中で腹が減る。
 そこに目を付けたのがアメリカ人のプルマン氏で、食堂車なる物を作ったわけだ。
 お金持ちはプルマン車で、一流レストラン並みのサービスで、おいしいものを食べて良いワインを飲みな がら、美しい田園風景を見ながら冬でも温暖な地中海をめざしたものです。
 二等、三等の乗客である市民階級や下層の人は匂いの強いチーズやら日持ちの良いソーセージとパン、それ に安ワインで盛り上がるというわけでね。
 1901年に地中海への出発駅リヨン駅に、素晴らしいレストラン、トランブルーが完成した。なんと言っても ここの室内装飾と壁画は圧巻で、リヨン市や港町マルセイユの風景、さらに地中海を超えた対岸アフリカの、 チュニジアやアルジェリアの風景が旅情を誘うんだな。
 鉄道網の整備でパリには各地の特産物が入荷するから、冬場はここで生ガキを賞味できる。
 1900年の万博の客を受入れるための新駅オルセーも、パリ市という花の都の栄光そのものを形にしたような 駅だ。
 どうです、パリは輝いているでしょう。