1900 Paris

 1852年、パリに今までになかった形態の販売が始まった。
 「定価販売、入店自由、返品返金可能」と消費者にとって良いことづくめのデパートが開店したのだ。
 昔の日本もそうだったらしいが、買い物の予定のない者は、品物を見るだけだと、気おくれして入れぬ ような専門店ばかりの時代が続いていた。
 デパート出現以前のパリには、雨の日でも傘をささずに歩けるアーケード形式のパサージュ式商店街が 人気を博していた。
 しかし店内に入るには、買い物をすることが鉄則だったのだ。
 1852年にわずか年商45万フラン、面積30平米だった帽子や小間物の店を、30年の間に年商2100万フラン、 面積25,000平米のデパートに仕立てあげたブシコー夫妻の店“オウ・ボン・マルシェ”は直訳すると『廉 価の倉庫』。
 そう、薄利多売をモットーとする大型商店であったのだ。
 この、購入の義務を負わず、値切り交渉も必要がなく、好きな時に入って品物を見れて、購入した後で 気が変わった時は別の品と交換したり返金もしてくれる店の出現は、増え続けていたパリのミドルクラス の人々にはうってつけの買物の殿堂となった。
 “ボン・マルシェ”に次ぎ、ル・ルーヴル”“ラ・ベル・ジャルディニエール”といった百貨店が相次 いで開店し、それぞれが流行のアール・ヌーヴォー様式の装飾や専門コーナー、エレベーター、豪華な吹 抜けホールなどで「良い気分」を消費者に与えて、デパートを庶民の社交場として成功させていく。
 ひと足早く産業革命を成功させ、万国博という形式を始めた英国に倣い、パリの万国博は工業、科学に 加えて工芸、芸術の味付けをして近代社会のライフスタイルを変えようとした。そして人々は博覧会に出 品されたような品々を、デパートの陳列品に見つけて、かつてない大量消費の時代をはじめた。
 デパートという空間は、1900年における重要な娯楽の殿堂でもあったわけだ。