1900 Paris
  

 19世紀フランスは、右傾とその反動の左傾の時代が交互に繰り返す混乱の時代であった。
 ナポレオンの皇帝就任と大戦争時代を経ての失脚ののち、ルイ十八世による王政復古の時代があったかと 思うと、わずか15年ほどで産業革命によって抬頭した労働者階級の間に社会主義思想が芽生え、彼らの手に よって革命が起き第二共和国誕生。
 しかしブルジョア共和派が社会主義を弾圧し、ナポレオン三世が軍部と組んで帝位につくが、普仏戦争の 敗北により第3共和制が敷かれる。
 音楽家サン・サーンスはそんな第3共和制時代に活躍した人物で、「動物の謝肉祭」「ハバネラ」「左手の ための六つの練習曲」などを作曲し、フランス音楽を盛りたてた。
 彼の後に登場したのがドビュッシーやラヴェルであり、そして奇才として知られるエリック・サティーだ。
 ドビュッシーはフランス象徴詩人の詩にインスパイアされ、ヴェルレーヌの詩による「忘れられた小唄」 「艶めく宴」、またボードレールの「五つの詩」、そして彼の代表作のひとつとなったマラルメの詩による 「牧神の午後への前奏曲」などを作曲した。
 20世紀に入ると、若手のラヴェルが登場し、「ボレロ」「シェヘラザード」などの名曲を発表している。
 これらクラシック音楽の本流とは別の視点と哲学を持った作曲家こそ、現代音楽の基礎を築いたサティー であった。
 カフェやレストランのピアノ弾きとして、不遇の身をかこちながら、黙々と「三つのサラパンド」「ジム ノペティ」などを作曲していたが、その異才ぶりをジャン・コクトーによって認められて、ようやくサティ ーは陽の当たる作曲家として認知された。コクトーと共作のバレエ「パラード」は、サーカス団の暮らしと 市民生活の不調和をテーマにしたもので、衣装をピカソが担当し、プログラムの序文を書いたアポリネール が「シュールレアリズム」という言葉を初めて使ったのだった。