イタリア代表のフェンシング選手N.ナディは、1912年のスト
ックホルム大会における最年少金メダリストの一人でした。 
当時フェンシングは人々の間で人気を呼んでいました。アン 
トワープ大会でナディ選手は圧倒的な強さを見せつけ、注目 
度ナンバーワンのこの競技で金メダルを4個獲得したのです。 
特に素晴らしい業績は、彼がフェンシングの全種目フレーレ、 
エペ、サーブルを完全制覇したことです。この記録は、1972 
年にM.スピッツが水泳競技で驚異の7種目制覇を成し遂げる 
まで、52年間破られることがなかったのです。ナディが偉業 
を成し遂げたのは、なにもオリンピックに限ったことではあ 
りませんでした。第一次世界大戦中、ナディはイタリア軍機 
甲支隊で活躍。その勇敢な行為を讃えられ、 3度表彰されま 
した。 


イギリスの選手J.ケリーにとって、漕艇でいい成績を
収める以前に、避けては通れないことがありました。 
それは参加を認めてもらうことでした。ボクシングで 
12勝をあげ、卓越した万能選手だったケリーにとって、 
イギリスで最も権威ある漕艇競技とされているロイヤ 
ル・ヘンリー・レガッタ・ダイヤモンド・スカルに出場す 
ることは夢でした。貴族からなる組織委員会のメンバ 
ーは、ケリーは厳密な意味でのアマチュアではないと 
して、出場を承認しなかったのです。ケリーはれんが 
積み職人であり、その作業中に筋肉を鍛えることが出 
来たからというのがその理由でした。オリンピックに 
参加したケリーは、シングルスカルでダイヤモンド・ 
スカルの勝者J.ベレスフォードを下し、続くダブルス 
カルではP.コステッロと組んで優勝したのです。この 
コンビは4年後の大会でも優勝し、この種目を二連覇。 
1919年から1920年の一年間にケリーは驚くべき126連 
勝を成し遂げたのです。