冬の寒さが厳しいサンクト・ペテルブルグ(旧レニングラード)
は、世界最強の長距離スイマーを育てるには決して理想的な場 
所とは言えませんでした。西側諸国の多くがボイコットしたモ 
スクワ五輪。その影響を一番受けたかに見えた男子水泳競技で 
したが、一人の選手の活躍でその心配も吹き飛びました。船長 
を父に持つV.サルニコフが持ち前のスピードとスタミナを見せ 
つけ、400mと1500m自由形を制し、4x200m自由形で 3個目の金 
メダルを獲得したのです。サルニコフが三冠に輝いたことより 
も彼が 1500m自由形で出した記録の方が人々の注目を集めまし 
た。ミューラーが100m自由形で1分を切ってから58年。サルニ 
コフは1500m自由形で15秒台の壁を破り、14:58.27という脅威 
的な記録を出したのです。 


1970年代から80年代初頭、ボクシングのスーパーヘビー
級で活躍した選手と言えばキューバのT.スティーブンソ 
ンをおいて他にいないでしょう。彼はオリンピックとア 
マチュア選手権で頭角を現し、圧倒的な強さを見せまし 
た。この無敵のボクサー相手に初めて 3ラウンドにまで 
持ち込んだ選手といえば、ハンガリーのI.レヴァーニ選 
手。ただし彼は準決勝でこの強敵との接触を避けようと 
リング内をただ必死に動き回っていたというのです。そ 
んなスティーブンソン選手でしたが、 4度目の防衛は成 
りませんでした。と言うのも、1984年のロサンゼルス大 
会にキューバは不参加を決めたのです。自国の共産主義 
体制に忠実に従っていたスティーブンソンは、同時代の 
オリンピックスターたちの多くがプロに転向し、スター 
の座に落ちついていたにも拘わらず、その流れに逆行し、
生涯アマチュアで通しました。彼の友人であり、歯に衣 
を着せぬ発言で有名なボクシング界の英雄ムハメド・ア 
リは、スティーブンソンについて次のように言及してい 
ます。「プロになっていれば、疑いなく世界ヘビー級の 
タイトルを獲得していたであろうに、そのチャンスをみ 
すみす逃してしまったんだ」と。