アイルランド生まれのアメリカ人マーチン・シェリダンは、
今世紀初めの最も優れた才能を持つ選手だと誰もが考えてい 
ました。彼はオリンピックでメダルを9つ獲得し、そのうち 
5つは金メダル、のこりの5つは、1906年の非公式大会で得 
たものでした。このロンドン大会でも、彼は円盤投げとギリ 
シャ式円盤投げの両種目で優勝し、立ち幅跳びでも3位に輝 
きます。その後、シェリダンの強靭な肉体とジャンパーとし 
ての能力は、警察官としてもその実力を発揮し、ニューヨー 
ク知事の私的なボディーガードにも任命されました。 





このオリンピックで最も有名になったのは、チャンピオンでもメダ
リストでもありません。英国王室がマラソンに関心が高いことに考 
慮して、コースをウインザー城からオリンピックスタジアムまでと 
しました。さらに、全長も26マイルから385ヤード延長して、ロイ 
ヤルボックス前でランナーがゴールインするようにしました。とこ 
ろが、この385ヤードの演出が、イタリアのドランド・ピエトリに 
は災いをもたらしたのです。彼は先頭でスタジアムに入ってきまし 
た。王室のためにゴールラインが変えられていなければもちろん優 
勝できたでしょう。しかし、残りの延長された直線で疲れ切り意識 
朦朧となり、ゴールするまでに5回の助け上げられ結局失格。優勝 
はアメリカのジョン・ヘイズの手に渡りました。