パリ大会は、オリンピック運動の産みの親であ
り、誇り高きフランスの愛国者でもあるピエー 
ル・ド・クーベルタン男爵にとって、残念な結 
果になってしまいました。彼が思い描いていた 
スポーツ・スペクタクルは、規模が縮小され、 
この年にパリで開催された万国博覧会の付属イ 
ベントに追いやられてしまいました。あまりの 
落胆に、クーベルタンは大会組織への参加を拒 
んだほどです。参加者は極めて少なく、組織は 
混沌としており、選手の多くは自分達がオリン 
ピックゲームに参加していることすら理解して 
いませんでした。26カ国が5カ月に渡って競い 
合い、初めて女性選手も参加しましたが、その 
人数は 1925人中僅かに19人でした。