Panasonic Pavilion 20世紀から21世紀へ


--- オリンピックと万国博覧会2/1

伊藤:今年はインターネット・エキスポが開かれるとともに、オリンピックが再生して百年という記念すべき年なわけですが、このオリンピックと万国博覧会を考えてみることで、20世紀の本質を見ていこうという試みを、植島さんとの対談で行いたいと思います。まず、時代背景から見てみますと、昨年の1995年はインターネット元年みたいにいわれ、新しい通信や情報の動向が芽生えているのですが、ちょうど百年前にも大きな通信と情報の革命が起こっています。1895年は、リュミエール兄弟がシネマトグラフを発表した年で映画元年にあたります。その同じ年に、マルコーニが無線通信を可能にして、ウェルズが『タイムマシーン』という小説を書き、レントゲンがX線を発見しています。こうした無線通信やタイムマシーンやX線は、目に見えないものに対する人間の衝動の現れだと思うのです。同時に、フロイトが『夢判断』を出すとか、精神的なものへの関心もこの時期に起こっています。そういう時代のなかでオリンピックが万国博覧会の成功に刺激されるようにして復活されました。1894年にクーベルタンが近代オリンピックを提唱したときのスローガンにある“肉体のエクスポーゼ”とは、肉体をエクスポジション(陳列)して肉体の自由貿易を促進しようと提示したものです。万国博覧会がモノとモノの競争だったとすると、肉体競争の提唱がこの時期に出てきた。19世紀には万国博覧会はオリンピックと同じように金・銀・銅のメダルを与えていたり、両者はある意味では通底したシステムのなかで、19世紀から20世紀にかけていろんな局面を提示してきたわけです。
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植島:まずキーワードを先にいいますと、「できるだけ多くの人が同時に関与できる」というのが20世紀的だと思うのです。「できるだけ多くの人が」と「同時に」というのを別に考えると局面が分かれるのですが、「できるだけ多くの人が」にポイントをおくと、やはりオリンピックと万国博覧会は、これ以上ない最大の装置だったのではないでしょうか。モノのテクノロジーの集積体として万国博覧会があり、身体のテクノロジーの集積体としてオリンピックがある。この2つはできるだけ多くの人々を一か所に集めるための技術をもつ。それができるイベントはこの百年の間に、2つ以外ではありませんでした。今世紀中のすべての万国博覧会は日本の科学博も花博も含めて、最初のこうしたモデルを使いこなしてきたにすぎないのです。しかし、「同時に」というところを実現した方向性もあります。それは先の伊藤さんの話にあるメディアの問題と通じるのですが、1950年代以降、同時にみんなが参加するという方向性にわれわれの文化の焦点は移っていったような気がします。だけど原点には、オリンピック、万国博覧会にわれわれはなぜ向かったのか、オリンピックや万国博覧会は20世紀にどういう役割を果たしたのか、という根底的な問いがあります。万国博覧会の方がオリンピックよりも常に、旺盛をもって登場してきたのではないでしょうか。その力関係が変わったのは1930年代くらいからかな、最初は万国博覧会の付属物としてオリンピックがあったのではないか、そういう印象をもっています。



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