今大会で印象に残る走りを見せたのが英国の中距離走者S.コーとS.オ
バットの両選手でした。チームメイトのコーとオバットは、それぞれ 
1500mと800mで二人そろって仲良く金メダルを分け合いました。4年後 
のロサンゼルス大会で二連覇を成し遂げたコー選手が1981年に800m走 
で出した世界新記録は、いまだに破られていません。コーは、その脅 
記録を威的出した理由を次のように語っています。「僕は父から走り 
を教わった。でも父の本職はエンジニアで、本当の意味でのコーチじ 
ゃなかったんだ。だから、父は中距離走の記録について知らなかった 
し、その限界も知らなかったんだよ。」 
長距離走の王者といえばエチオピアのM.イフター
選手だということは誰もが認めることです。彼の 
実力を考えると5000mと 10,000mのダブル制覇は 
当然の結果で、誰もが分かっていたことでした。 
そんな中で、人々の分らないことが一つありまし 
た。それは彼の年齢でした。推定年齢33歳から42 
歳。彼は年齢に関してはガードが堅く、決して他 
人に公表しなかったのです。「俺の鶏が欲しけり 
ゃ、持っていけばいい。俺の羊もくれてやる。だ 
が、俺様の年齢に関わる情報だけはだれにもやら 
ない」イフターはそう語っていました。 

東ドイツのM.コッホ選手は前年のモントリオール大会では負傷し、
女子400m走準決勝をやむなく棄権。しかし、金メダルにかける夢は 
永遠でした。前大会で使用したシューズを携えて400m走に挑んだコ 
ッホは、決勝で大会新をマークし、悲願の金メダルをあっさりと手 
にしたのです。 


今大会から新種目として加えられた女子のホッケ
ー競技でしたが、西側諸国ボイコットの煽りをま 
ともに受けました。出場を予定していた 6チーム 
のうち 5チームが参加を取りやめたのです。オリ 
ンピック委員会としてはどうしてもこの競技を実 
現させたく、チームの遠征費用を支給することを 
条件に、ジンバブエに参加を呼びかけたのです。 
それは、オリンピック開催5週間前のことでした。 
代表チームが決定したのが、五輪開催を目前に控 
えた最後の週末。そして本番。シンデレラストー 
リーはここから始まりました。ホッケー競技に参 
加したジンバブエ勢は、五輪初の金メダルを獲得 
したのです。