メキシコの希薄な空気のなかで、短距離や跳躍競技で
多くの世界新が誕生しました。しかし、どんなに素晴 
らしい記録もB.ビーモンの輝かしい『世紀の跳躍』の 
前では霞んで見えました。一本目で記録を55cm越える 
"8m90"を跳び、記録をあっさりと塗り替えました。メ 
ートル法に慣れていなかったビーモンは、自分の出し 
た記録の凄さにピンときていなかったのです。「ボブ、
おまえ29フィート跳んだんだぜ。」チームメイトのR. 
ボストンにこう言われて初めて、たった今成し遂げた 
偉業を実感しました。感極まったビーモンは、溢れる 
涙にひざまずいたのです。 
「あんな記録を出されたんじゃ、みっともなくて、あ 
とに続けないよ。」そう言ったのは前大会の覇者イギ 
リスのL.デービスでした。ロシアの英雄I.テル.オヴ 
ァネスヤンは、「これじゃあ、赤ん坊が大人にチャレ 
ンジするようなものだなあ」と漏らしたそうです。走 
り幅跳びの第一人者たちの言うことは当たっていまし 
た。あとに続いた誰一人としてビーモンの足下にも及 
ばず、最高でも彼の記録の70cm以内に入ることが出来 
なかったということです。 




アメリカのA.オールターの選手人生は誠に「単調」なもので
した。1956年から1968年までの間に4回オリンピックに出場 
しましたが、円盤投げの世界記録保持者相手に金メダルへの 
期待も薄かったのです。しかし、オールターは常に不意打ち 
を食らわせ、世界を湧かせ続け続けました。彼は世界記録保 
持者たちを相手にひるむことなく、実力を十分に発揮し、 4 
度金メダルに輝いたのです。それも毎回、自分の出した大会 
記録を塗り替えるというものでした。そういう意味で彼の選 
手人生は「単調」だったのです。メキシコ大会でオールター 
は3本目で64m78という記録を出し、最後の金メダルを飾りま 
した。 4大会連続で金メダルを獲得した選手は陸上競技では 
未だかつてオールターをおいて他にいません。 


チェコスロバキアの体操選手V.カスラヴァスカはソ連のチェコ軍事介入に
抗議する発言をしたために、一時的にジェセニキー山地に身を隠すはめに 
なりました。彼女が他のチームメイトに合流し、トレーニングを再開でき 
たのは、メキシコ大会の始まる数週間前だったというのです。 
それにも拘わらず、カスラヴァスカは類稀なる成功を収めたのです。床運 
動で「メキシカン・ハット・ダンス」にあわせて演技を披露した彼女は、 
メキシコのオリンピックファンのハートを掴み、あっと言う間にスターダ 
ムにのし上がったのです。そして、その頂点を極めたのが、チェコスロバ 
キア1500m走の第一人者で東京オリンピックの銀メダリスト、J.オルドツ 
ィルとの結婚でした。