Panasonic Pavilion 20世紀から21世紀へ


--- 新しい肉体の神話と美学5/1

伊藤:マルローが各世紀ごとにキーワードを抽出していくとすると、18世紀は“啓蒙”という言葉がもっとも重要で、19世紀は“歴史”という概念が世紀の隅々にまで入り込んでいって、20世紀は“メタモルフォーゼ/変容/変わる”ということがあらゆる状況のなかで重要になっていく、といっています。マルローが世紀を分けていったように、これから21世紀的な概念がどういうところに落ち着くのかといつも考えているのですが、ひとつはコミュニケーションの問題なのではないかと思われます。そのなかでオリンピックと万国博覧会がある意味で20世紀的なイベントだったということはいろんな意味で興味深いのですが、植島さんは、オリンピックと万国博覧会をコミュニケーションということに関しては、どのようにお考えですか。
------------------------------------------------- 
植島:万国博覧会からオリンピックへという流れがありますよね。1850年代から1930年代までは万国博覧会が時代の色彩だったとすると、いまだったらオリンピックの方が人々に与える影響が大きくなっているように思われます。つまりモノから身体へという動きが1930年代にあって、図式化すると、これからはもっと見えないモノへ動いていく大きなうねりがあるような気がするのです。ただこの動きを、物質から非物質へとか、見えるものから見えないものへとか、といってつかまえるのは間違いであって、これらは歴史のなかでなだらかに循環していると思うのです。見えるものから見えないものへ行き、また見えるものへと回帰していく動きがゆるやかにわれわれのなかで円環状に動いており、それがわれわれの社会とか文化を支えている見えない力になっていた。そこを見間違えてしまうとおかしくなるのです。伊藤さんと『ディスコミュニケーション』の本をつくって10年になりますが、あのときから、モノ中心のなかで身体とか見えるものへという方向性を先取りしていきたかったわけです。インターネットとかの展望はもっていたのだけれど、それはある程度見えることであって、その先の導入された混乱をどういうふうに回避していくかを考えておきたいのですね。それは、身体とかモノとかを違った角度、つまり多様性とかを採り入れていかないと、メディアとコミュニケーションのいまの現状の問題点とかがひとつも明らかにならないと思うからです。そういう考えをもって、この10年間仕事をしてきているのです。



home page

<TABLE ALIGN="right"><TR><TD><FONT SIZE=-2> <A HREF=" ../index01.html">HOME</A> | <A HREF="02.html">INTRO</A> | <A HREF="0102.html">BACK</A> | <A HREF="0202.html">NEXT</A> </FONT></TD></TR></TABLE><BR CLEAR=ALL><HR> Copyright(C)1996 MATSUSHITA ELECTRIC INDUSTRIAL CO.,LTD.