1900 Paris

 素晴らしい文学や音楽のある所には、やはり素晴らしい舞台芸術が芽生える。
 パリはまた、オペラ、バレエ、コメディ、人形劇など、多くの舞台芸術を生むるつぼでもあった。
 前世紀末、フランス演劇界の大スターと言えば、サラ・ベルナールをおいて他にはいないだろう。
 36歳でコメディ・フランセーズを退団して自分の劇団を結成し、一世を風靡した。
 自分の自動車の車輪に長いスカーフが巻きつき、悲劇的な死を迎えるまで、彼女は女神のように演 劇界に君臨したのだった。
 20世紀に入ると、パリは芸術の都として世界の才能を迎え入れては、その素晴らしさを世界に発信 する基地となった。
 当時大成功を収めたのは、ロシアから来たディアギーレフのバレエ団だろう。
 伝説的なダンサー、ニジンスキーはスペクタクルあふれる踊りで世界の寵児として名声を得る。
 このロシア・バレエ団から影響を受けたのはジャン・コクトー、エリック・サティたちパリの芸術 家だった。
 コクトーは詩人、小説家、批評家であり、また画家として、新芸術である映画作家としてのマルチ・ タレントぶりを発揮した天才である。
 あらゆる芸術のジャンルの枠を取り払い、それら全てを駆使して「夢」と「美」の世界を追い続けた 芸術家であった。
 映画化された『恐るべき子供たち』『美女と野獣』、バレエ『パラード』『屋根の上の雄牛』などの 成功は、いち早く日本にも伝えられ、堀口大学や堀辰雄によって訳された。
 坂口安吾や三島由紀夫らの文学にも大きな影響を与えたと言われている。1
 920年代にはジャズが人気を得、また黒人ダンサー、ジョセフィン・ベーカーが大人気となり、ピカソ たちによって黒人芸術が賞讚を受ける時代が来る。
 前衛と古典の両芸術がパリという素晴らしい芸術の町で共に花開いたベル・エポックこそ、新世紀パリ の魅力であったのだ。