Panasonic Pavilion 20世紀から21世紀へ


--- 人間の意識のフレーム2/2

伊藤:インターネットで万国博覧会が行えるようになったこと自体も自己矛盾的なことですよね。ネットがすでにひとつのエクスポーズの場であるし、オリンピックのような肉体のエクスポーズも、モノとか人のエクスポーズも20世紀の終わりになって違うものに変質していかざるをえないわけですが、21世紀において例えばオリンピックとか万国博覧会に変わる機能とか、それらに類するような何かが起こるとするすると、それは何なんでしょうか。ネット上で何かやるということに対して、植島さんは最初からかなり否定的ですよね。
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植島:われわれの到達しえた重要な地点という共通認識はあるのですが、ただ、それをどうするかという、どう発展するかというビジョンを同時に考えたいということなんですね。従来みんなが考えてる延長上には、インターネットの発展形はないよ、ということなんです。伊藤さんはコミュニケーションテクノロジーの現時点というのは、ある程度の到達点にあるという理解なんですか。
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伊藤:まだまだ変わっていくとは思いますね。百年前に映画が発明されて、1900年のパリ万博に象徴されるように、万国博覧会自体もモノを見せるというよりメディアでイメージを見せていくとかの仕組みをもっていったわけです。それがどんどん進化していって、映像技術の発展とともにスタジアムに行ってスポーツを 鑑賞するのとはもっと違う受け止め方がでてきて、そのひとつがインターネット上で万国博覧会をやってしまうとか、メディアとコンテンツ(内容)が一緒になってしまうという到達点が現れてきているわけです。
そういう意味ではクロスポイントの年ではあるな、という気がしています。コミュニケーションテクノロジーのいまのビジョンでいくと、オリンピックや万国博覧会という装置がどういう機能をもっていくことになるのかという問いに対しては、感覚のエクスポジションみたいなことが可能性としてはあると思います。パーセプション・エクスポみたいなことがでてきてもいいんじゃないかと。



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