「ミルウォーキーの流星」という異名をとっていたアメリカのA.ハーンは、60m走、
100m走、200m走で圧倒的な強さを見せ、3個の金メダルを獲得。しかし、ハーンが 
本当に愛していたのは、フットボールだったのです。ミシガン大学でプレーしてい 
たのですが、身長が僅かに足りずにメンバーから外されてしまいました。彼が才能 
を見せたのは、やはり陸上短距離走。彼の持つ観念もさることながら、能力もずば 
抜けており、1904年大会の200m走で出した21秒6という記録は1932年になるまで破 
られませんでした。選手引退後、コーチとして後輩の養成に当たっていたハーンは、
『いかに短距離を走るか』という名著を残しました。彼の本当の夢が実現したのは 
晩年になってからでした。晩年、ハーンはフットボールのコーチをしたのです。 


アメリカ代表選手G.アイザーについて多くは語られて
いませんが、人々が知るところだけでも彼はオリンピ 
ック大会のヒーローになる素質十分だといえるでしょ 
う。幼少時代に電車の下敷きになるという不慮の事故 
に遭い、彼は左足を切断。それでもアイザーはそのハ 
ンディーを克服し、世界一流のスポーツ選手になった 
のです。セントルイス大会では平行棒、ロープ・クラ 
イミング、跳馬種目で金メダルを獲得。個人総合とあ 
ん馬で銀、鉄棒で銅メダルに輝いたのです。