Panasonic Pavilion 20世紀から21世紀へ


--- 新しい肉体の神話と美学5/5

植島:オリンピックは生命の連続性が重要なテーマだとも思います。それから派生して、人間の身体の美とかになっていく。宗教儀礼は根本的に死と再生なわけで、どんな宗教にも死と再生がみられるように、オリンピックでも同じように死と再生が歌われますよね。「歓喜を歌うためには死を思え」みたいな、光と陰がお互いにからみあった状態というのをオリンピックは表現している場だと思いますね。私はアルベールビルのオリンピックが一番好きなのですが、アルベールビルが、そうしたテーマをちゃんと持っていたことに感心しました。ほかのオリンピックというのは、果たしてそういう生命の連続性を歌うということ、例えば死ということを(裏の)テーマとして持ちえたかというと疑問ですね。
もともとオリンピックは神様と人間がそこでコミュニケーションする場です。そこで不在なのがオリンピックにおける主人つまり神なわけで、演劇もそうだけど、例えば能舞台は必ず御神体の方を向いていて神様に向って演じていた(観客に向いて演じていると勘違いしがちだけど)。アルベールビルでは、不在の神が主役だとはっきり打ち出していました。その演出は、地下からいきなり人々が登場してくるとか、会場をつっきて全員が外側に消え去ってしまうとか、見事に統一されていました。
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伊藤:カイヨワは『遊びと人間』のなかで、遊びを「競争」「偶然」「模擬」「眩暈」という4つに分類していますが、そうしたテーマはオリンピックにも万国博覧会にもさまざまなかたちで現れていて、20世紀的な意味で人々のなかに浸透していったと思うのですが、そういう視点でみるというのはどうでしょうか。
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植島:先に、エンターテイメントとかアミューズメントのことをいいましたが、やっぱり根本的には喜びというか、最大の遊びの場の提供であると思います。伊藤さんと一緒に調査に行ったことのあるバリ島のサンギヤンでも、過去では唯一の遊びの場であり宗教儀礼だったけれどいろんな側面が入ってきていて、オリンピックも例外ではないと思われます。端的にいってファッションもフリークスですが、オリンピックもフリークスな集まりの場と考えることができるのではないでしょうか。



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