アメリカの水泳コーチ、M.シュバートは、ハンガリー代
表で弱冠十代のK.エゼルゼキ選手のことを「百人力の女 
子選手」と評しています。彼女が圧倒的な強さを見せつ 
けたバルセロナ大会は、水泳史上最高のレースの数々を 
見せた大会として人々に語り継がれています。背泳ぎの 
100mと 200mを大会新で制したエゼルゼキは、400m個人 
メドレーで3個目の金メダルを獲得しました。 


「もしアメリカに生まれていれば、間違いなく第2のM.ジョーダンにな
っていたさ。マイケルのように高く跳び、ちょっと生意気で、うぬぼれ 
やすいところがあるしね」とV.シェシェルボのことを評したのは、アメ 
リカの体操選手J.リンチでした。オリンピックのヒーローとなったシェ 
シェルボは、曲芸師の息子として生まれ、オリンピックでそのお家芸の 
アクロバット技を数々と披露したのです。そして、驚異の 6冠に輝きま 
した。世界選手権で通算14個もの金メダルを獲得した彼は、アトランタ 
五輪で更なる飛躍と金メダル獲得への期待がかかります。実際、このベ 
ラルーシ出身の体操選手シェシェルボを男子体操史に名を残すことの出 
来るトップの実力を持つ選手だと評価する人は少なくありません。 




オリンピック前年の1991年、アメリカの陸上短距離走選手G.デバーズは、
オリンピックに向けてトレーニングに励むどころではありませんでした。 
彼女は、甲状腺からのホルモンの分泌を過剰にしてしまう「バセドウ病」 
別名「甲状腺機能亢進症」を煩っており、医者から足を切断する必要性 
を告げられていたのです。世界トップクラスの選手と言われているデバ 
ーズ。その彼女の選手生命が危機に瀕したのです。しかし奇跡が起こり 
ました。その 1年のあいだに信じがたい回復を見せて、彼女は陸上界へ 
の復活を果たしたのです。1992年の夏までに最後の調整を終え、バルセ 
ロナ大会では100mを制し、「世界一速い女」と讃えられたのです。一つ 
だけ残念なことがありました。100mハードルに出場しいた彼女は、最後 
のハードルでまさかの転倒。二つ目の金を逃してしまいました。