問題は陸上女子3000mで起こりました。アメリカ随一の
スター選手M.デッカーがインコースに入ろうとした瞬間 
南アフリカの選手B.ゾラ・ブットとぶつかってよろめき 
コースアウトしてしまったのです。ブットは 7位に入り 
ましたが、アメリカ側の審判がルール違反を申し立て、 
ブットは失格宣告を受けたのです。このことはアメリカ 
市民、そしてメディアの激しい攻撃に合いました。その 
先頭に立っていたのが、災難にあったデッカー本人だっ 
たのです。録画テープを使っての検証、他の選手への事 
情徴収によってブットに呵責のないことが証明され、失 
格宣告は取り消されました。 

重量上げの場合、前半にはそれほど名の通ってい
ない選手が出場することになっており、フィンラ 
ンドのJ.グロンマンもその一人でした。312.5kg 
という成績を残したグロンマンは、参加種目を終 
えた後、他の競技の見物に興じていました。次の 
日、重量上げのメダル授与式が行われたのですが 
ライト級銅メダリストの姿がありませんでした。 
競技後半の結果を見ていなかったグロンマンは、 
自分のメダルを取ったことを知らなかったのです。 

カナダの競技選手 A.バウマンは200m自由形と
400m 個人メドレーで優勝。しかし、ドーピング 
検査で思わぬ落し穴が待っていました。検査で尿 
サンプルを取ることができなかった場合、ビール 
を飲ませることがあるのですが、バウマンはビー 
ルを飲むことが許可されませんでした。これは当 
然の処置でした。どうしてでしょう?アメリカで 
は州ごとに飲酒年齢が定められており、若干20歳 
のバウマンはカルフォルニア州では、まだ「未成 
年」飲酒年齢に一歳足りていなかったのです。 


G.アンデルセン・シャイスは当時アメリカ・アイダホ州でスキーの
インストラクターをしていましたが、スイス代表として参加しました。 
今大会で初めてオリンピック正式種目となった女子マラソンに出場した 
アンデルセンは、レース終盤、体力が限界を超え、オリンピック・スタジアムに 
びっこを引きながら入ってきたのです。心臓が極度に衰弱しており、 
ほとんど意識のない状態でした。救護員が駆け寄って手を貸そうとしましたが、 
何としてもでも完走したかったアンデルセンはその手を払い退けました。 
観衆がこす固睡を飲んで見守る中、400mトラックをゆっくりと一周。 
ゴールを決めた瞬間に倒れ込み、そのまま病院に担ぎ込まれたのでした。 
成績は37位、特筆すべきは、その2週間後にユタ州で行われた20マイルマラソンと 
乗馬18マイル競技に参加し、立派に完走したことです。