ドイツがオリンピックの開催国に決定されたのは1931年。
この時、人々は、ナチスの時代が来るとは夢にも思ってい 
ませんでした。1933年、国家社会主義ドイツ労働者党が政 
権を掌握。早速、ヒトラー内閣はナチスのイメージアップ 
にオリンピックを利用しようとしたのです。会場には新し 
く建設された10万人収容のスタジアムが選ばれました。 
また、ギリシャで採火された聖火をリレーで運ぶという 
「聖火リレー」がこのとき発案され、3000人のランナーの 
手によってトーチがオリンピアからベルリンまで運ばれま 
した。これには祭典に彩りを添え、かつオリンピックの象 
徴となるものを残そうというナチスのもくろみがあったの 
です。政治的ボイコットで「片肺五輪」といわれた過去 2 
回のオリンピックとは対照的に、ベルリン大会は全世界参 
加のもとで開催されました。ヒトラー政権のヨーゼフ・ゴ 
ーベル広報官は、オリンピックの成功は軍隊 4旅団分の働 
きに匹敵すると公言しましたが、これはあながち否定でき 
ない考えでした。