今大会で「フライング・フィン」の異名を取ったフィンランド勢。そのトップを切
ったのがH.コレーマイネンでした。彼は陸上長距離種目で4個の金メダルを獲得。 
P.ヌルミ、A.ステンロース、V.リトラ、V.イソ・ホッロがこれに続きました。コレ 
ーマイネンは、10000mで2位に46秒差をつけて金メダルを獲得し、続く5000mでも 
2位を1/10秒差で下し、劇的な優勝を収めました。3個目のメダルは 12000mクロス 
カントリー競技で獲得。第一次世界大戦中にはアメリカに渡りトレーニングを重ね,
試合に出場していたというコレーマイネンは、 1920年のアントワープ大会ではマ 
ラソンで優勝。 1952 年のヘルシンキ大会では、オリンピック史に名を残すあの 
「フライグ・フィン」のチームメイト、P.ヌルミから聖火を受け取り、聖火台に点 
火するという名誉を与えられたのです。 


他界後にオリンピック・メダルが返還されようとは当の本人、J.ソープも予期して
いませんでした。陸上の五種、十種競技を制したソープでしたが、学生時代に野球 
で収入を得ていたということが明るみに出て、金メダルをはく奪されてしまったの 
です。理由は、全体会で規定された「オリンピックに参加する選手はアマチュアに 
限る」という参加資格に反しているというものでした。銀、銅メダルを制したスウ 
ェーデン勢もメダルの繰り上げを辞退しました。 
十種競技でソープが出した記録は劇的なもので、36年後の1948年大会ですら銀メダ 
ルを獲得できるほどの好記録だったのです。ホスト国の君主グスタフ王はこれに深 
い感銘を受け、ソープ選手を「世界陸上界の王者」と称えたのです。これに対し、 
「ありがとう、キング」とソープは答えました。アメリカ原住民の血を引くソープ 
は傑出した万能選手でした。その証拠に、11もの異なる競技で全米学生代表選手に 
選ばれたというのです。例の金メダルは、20年後の1982年にソープの遺児に返還さ 
れました。