ヘルシンキ大会はまるで魔法にかけられたようにあっという間に過ぎた 9日
間でした。E.ザトペクはP.ヌルミと並んで長距離走の第一人者としての地位 
を不動のものにしました。ザトペクは10000m走で 2位に15秒差をつけてあっ 
けなく優勝。1948年に続いてこの種目二連覇を成し遂げました。5000m走も 
制し、その後はマラソンに初挑戦。3分の2地点を過ぎた頃には積極的なレー 
ス展開で2位以下を大きく引き離し、そのまま2分30秒差で優勝したのです。 
ザトペクの偉業に深い感銘を受けたのが4x400mリレーを制したばかりのジャ 
マイカチームでした。彼らはザトペクを肩に乗せてトラックを一周しました。
そして何よりもザトペクは真のスポーツマンでした。1956年のオリンピック 
で6位でゴールに入ってきたザトペクは、まず優勝者M.オカチャに敬意を表し 
たのです。オカチャはザトペクの友人であるとともに、 1952年の 5000m、 
10000m走でザトペクに負けて 2位に転じ、今大会で初めて金メダルを手中に 
収め悲願の初制覇を成し遂げたのでした。「私にとってこれは金メダル以上 
の価値があるのです」オカチャはそう語りました。その数年後、ザトペクは 
今度は自分が 10000m走で獲得した金メダルを不遇の花形選手R.クラークに 
捧げたのです。 
1948 年のロンドン五輪でのこと、4x400mリレーの第三走者として出
場したA.ウィント選手は競技中に筋肉を痛めてしまい、これがそれま 
で優勢だったジャマイカ勢の敗因となってしまいました。同大会で、 
ウィントと彼のチームメイトであるH.マクケネリーは400m走でそれぞ 
れ金メダルと銀メダルを獲得していたのです。そして、続く1952年の 
ヘルシンキ大会にこのリレー・チームが帰ってきました。この時には、
G.ローデンが400m走を制し、マクケネリーが前大会に引き続き、銀メ 
ダル2個を手中に収めました。 一方、ウィントは 800 m走で二連覇。 
4x400 m リレーでは、ローデンがアンカーで奮起し、ジャマイカ勢は 
1/10秒差でアメリカ勢を下しました。小さな島国からやって来たこの 
チームは、このとき世界新を 4秒 3も縮める好記録を出したのです。