この大会のスターはアルビン・クレンツェンで、トラック競技とフィ
ールド競技で4 個もの個人金メダルを獲得した選手です。彼は110mと 
200mのハードル競技、60m、及び走り幅跳びで優勝しました。けれど 
も、誰もが彼の偉業に感動したわけではありませんでした。なぜなら、 
世界の走り幅跳び世界記録保持者マイヤー・プリンシュタインが、決 
勝戦がキリスト教の安息日である日曜日に行われたため出場できなか 
ったからです。その結果、プリンシュタインはうさ晴らしにクレンツ 
ェンを殴ってしまいました。その後、彼はエネルギーをより建設的な 
方向へ持っていき、三段跳びで優勝を果たしました。4年後、プリン 
シュタインは走り幅跳びで優勝し、その世界記録は20年間も破られる 
ことはありませんでした。一方、クレンツェンはこのパリ大会後引退 
しています。 
レイ・ユーリーは、1906年の非公式大会で獲得した2つを
含み、大会最高記録の10個の金メダルを獲得しました。 
ユーリーは子供時代にポリオを患い車椅子生活を過ごしま 
したが、医師の指導のもとランニングを始めました。彼は 
パリ大会で、現在のオリンピックではもはや行われていな 
い助走なしの幅跳び、高跳び、及び三段跳びで3 個の金メ 
ダルを勝ち取りました。