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阪神アートプロジェクト展
愛と祈り
ジョルジュ・ルース阪神アート・プロジェクト

 阪神・淡路大震災からすでに2年近くの月日がたちました。都市はめざましい復興を遂げ、当時の記憶が徐々にうすらいでゆく中で、まだ多くの被災者の方々が過酷な状況で生活なさっていることに胸を痛めています。
photo1  フランスのブルターニュ地方、レンヌという町で、1996年8月末に国際美術評論家連盟の全国大会が行われました。今年は、「現代美術にとって記憶とは何か」という議題です。世界各国の重要な美術評論家やアート・ディレクターなどが多数集まる中、私はジョルジュ・ルース阪神アート・プロジェクトと、地震の多い日本という国における都市と文化と記憶の問題について発表しました。マケドニアの若い女性評論家が、自らのスコピエ地震の体験を含めて、心のこもった共感を示してくれたのをはじめとして、フランス、アメリカ、スウェーデン、イギリス、アイルランド、ポルトガル、スペイン、エストニア、ブラジル、日本などの参加者から、驚くほど感動的な意見を頂くことになりました。
photo6  阪神アート・プロジェクトは、「廃虚に光を」という気持ちで、被災した方々をはじめとするボランティア実行委員が、日本の企業メセナや美術館、フランス外務省や財団などの協力を得て、フランスのアーティストのジョルジュ・ルースを、1995年夏に被災地に招いて作品制作の協力を行ったプロジェクトです。震災直後のボランティア活動のように、参加した美術関係者や、のべ百名以上の学生たちの力で、このプロジェクトにはたぐいまれなエネルギーが結集し、ジョルジュ・ルースは困難な状況の中で、世界のメッセージとなるすばらしい作品を実現してくれました。廃虚の光とはまず、衝撃から立ち直れずにいた多くの参加者たちが求めていたものでした。
 世界の人々から、そして被災地の参加者から、このような共感が示されたのは、ジョルジュ・ルースの阪神アート・プロジェクトの作品に、何か本質的な問題が提起されていたからに違いありません。ジョルジュ・ルースは壊される予定の建物の内部に絵を描き、それを写真に撮って作品にします。彼が80年代にこの独自のスタイルで仕事を開始したとき、私はそこに洞窟画に通じる絵画の原点に戻ろうとする強い意志を感じていました。その直感がある意味では、誤解を招く可能性さえあるこの困難なプロジェクトへ、ルースを招待したいと考えた発端にありました。洞窟画など、人類の芸術の原点にある素朴な造形への意志には、つねに共同体の素直な祈りがこめられています。それは人間を滅ぼす自然の脅威を前にした生への祈願であり、出産や狩猟や豊作など自然の恵みへの祈りです。被災地のさなかで、被災者の心の光としてつむぎだされたこのプロジェクトには、芸術の原点に戻るこうした祈りが存在しているように思います。
photo2  ジョルジュ・ルースにとっても、地震で破壊された場所で制作するのははじめてでした。彼のこれまでの作品と異なり、阪神での作品は、まず震災の起きた場所と被災なさった方々の記憶を作品にとどめようとするいちずな思いに貫かれています。ルースが制作した8点の写真作品と3点の小作品は、今でも北海道から九州まで全国を巡回しています。実行委員会がオーガナイズしたわけではなく、祈りが自然に伝わるように、芸術への愛が伝播するように、阪神間にとどまっていたボランティアの参加者が全国に広がったのです。8月の末に、神戸アートビレッジにこの巡回展が戻ってきたとき、私たちは巡回後にルースが阪神アート・プロジェクトに寄託してくれたすべての作品を、兵庫県美術館に寄贈する約束をしました。それはいつか世界から訪ねてこられる人々にとっても、この地域で、ここの人々の祈りの中で生まれた作品が、この場所のささやかな記憶として残ることを願っているためです。

ジョルジュ・ルース阪神アート・プロジェクト発起人
美術評論家 岡部あおみ


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