一回のオリンピックで獲得した金メダルの数が史上最多だったのが
M.スピッツでした。水泳競技で7個の金メダル。しかもその記録す 
べてが世界新だったのです。それ以前のメダル最多獲得者はイタリ 
アのフェンシング選手N.ナディーで、1920 年のオリンピック大会 
で獲得した5個が最高記録でした。それ以来、二人の選手がそれぞ 
れ 6個の金メダルを獲得しています。一人は東ドイツのスイマー、 
K.オットー選手。女子選手陣の中では最多記録となっています。そ 
してもう一人が V.シェルボ。1992年のソヴィエト社会主義共和国 
連邦の崩壊前に連合チームの一員としてオリンピックに参加した際 
の記録です。 


多くの人が驚きを隠せなかったのは、M.スピッツがミュンヘン
大会で史上最多のメダルを獲得出来なかったこと。一方、16歳 
の誕生日を数カ月後に控えていたオーストラリア代表のS.ゴウ 
ルドはメダルを5個獲得。そのうち金メダルは3個。世界新記録 
も3つマークしました。それから一年の間にゴウルドは100mに 
はじまって1500mまでの全ての自由形種目で世界新記録を樹立。 
そして17歳の誕生日を迎える前に引退したのです。ゴウルドが 
世界新をマークした1500m自由形はオリンピックでの正式種目 
ではありませんでしたが、女子スポーツ界一番の快挙だとみな 
されています。というのもこの記録は9年前であれば男子1500m 
自由形の世界新記録に匹敵するもの。これほどまでに男子と女 
子の世界新記録達成年の格差が縮小されたことはありませんで 
した。  


フィンランド代表で長距離走のスーパースターといえばL.ヴィッレン。 10000m 走決
勝で、ヴィッレンはフラフラになり、コースから外れてしまいました。しかし、すぐ 
にコースに戻り、そして、優勝。それも世界新記録を樹立するという快挙での優勝で 
した。続く5000 m 走も制し、4 年後に開催されたモントリオール大会でもヴィッレン 
両種目はでタイトルを手中にし、二連覇を成し遂げたのです。 





ソ連の体操選手O.コルブットは、権威高い天下のオリンピックでメダルを獲得する
ことなく終わってしまいましたが、実は女子体操をオリンピックの人気競技にした 
のが、このお下げ髪の有能選手だったのです。しかも並外れたやり方で。コルブッ 
トは、段違い平行棒で史上初の逆宙返りを成功させ、世界中の体操ファンの目を釘 
付けにしたのです。それは会期中で最も目の離せない瞬間でした。