J.オーエンスがオリンピック史上で一番名の知れた選手だ
というのは疑う余地のないことでしょう。民族主義を唱え 
るナチスが台頭するドイツ・ベルリンで開催されたオリン 
ピックで、アフリカ系アメリカ人のJ.オーエンスが金メダ 
ルを 4個も獲得したことは、世界の注目を集めました。オ 
ーエンスは、100m走、200m走、400mリレー、 そして走り 
幅跳びの4種目を制覇。その1年前に行われた選手権では世 
界新を5つ、世界タイを1つマーク。陸上史上最高の盛り上 
がりを見せました。このときオーエンスが走り幅跳びで出 
した世界記録(8m13)は、 25年と79 日間破られることが 
ありませんでした。これ程までに長い間塗り替えられるこ 
とのない記録は今もって出てきていません。オリンピック 
走り幅跳びでの オーエンスの 優勝記録は8m06でした。その 
後 40年間でメダルをとった記録は21個その中でこの記録 
に優るのはたったの 7個だけなのです。 
アフリカ系アメリカ人のJ.オーエンスが金メダル
を4個獲得したことは、ナチスのドイツ民族優越 
主義を真っ向から否定することになりました。一 
方、銀メダルを手にしたドイツ代表のR.ロングは 
民族主義ナチズムの化身であるとしてメディアで 
騒がれました。しかし、現実はこれら報道とは全 
くかけ離れていました。ベルリン市民がオーエン 
スを暖かく、公平な態度で迎かえ入れなかったこ 
とを恥じていたロングは、会期中ずっとオーエン 
スを友愛の心で支えていたのです。オーエンスが 
勝利をおさめた時、真っ先に祝いの言葉を述べた 
のはロングで、それをヒトラーは不満げに眺めて 
いたということです。オリンピック終了後も 2人 
の友情は変わることなく、1943年にロングが戦死 
したあとは、オーエンスとロングの息子の生涯に 
わたる交友関係が始まったのでした。