1900 Paris

 パリのプロヴァンス街に、1896年、一軒のユニークな画廊がサミュエル・ビングという画商によって開かれた。
 その「ラール・ヌーヴォー(L'ART NOUVEAU)」という画廊には、エミール・ガレやティファニーのガラス器、 オーブリー・ビアズレーの絵やマッキントッシュの家具などが展示されているのだった。
 その当時のフランスを代表する建築家、エクター・ギマールは、独特の様式を完成しつつあった。
 1900年に開通したパリの新しい交通システム「地下鉄」の入口を、ギマールはデザインする。
 有機的に伸びる植物のような曲線を主題にした鉄製の装飾と、その独特の書体こそ、アール・ヌーヴォー、つま り新様式芸術のシンボルとなった。
 この年、1900年の万博に沸くパリには、アール・ヌーヴォー様式のデザインが花咲き、町をうづめ尽くすかのよ うだった。
 花の蕾の形の街灯、ウジェーヌ・グラッセが描いたポスターの美女は、長い髪を蔦のように絡ませて道往く人々 に微笑みかける。
 アンバリッド広場に設けられた万博パビリオンには、アール・ヌーヴォー様式の家具、壁紙、カーペット、電気 スタンドなどを展示した七つの部屋があったが、これを主催したのが前に述べた画商ビングであった。
 アール・ヌーヴォーの曲線は、それまでのアンピール(皇帝)様式の重厚さに比べると軽やかでしかも優雅でも あった。
 パリ発のこのスタイルは、すぐに隣国にも影響を与え、ドイツでは“ユーゲント・スティル”、イギリスでは“ モダン・スタイル”として取り入れられ、工芸や建築の多くが物理的曲線をモティーフに、人々の暮らしに取り入 れられた。
 スペインのバルセローナで活躍したガウディもその影響を受けた一人であり、今日も営業を続けるレストランの 老舗“マキシム”の曲線も当時を思い出させるデザインである。
 そしてその有機的な曲線への反動として、アール・デコの無機的な直線や円のデザインが興ってくるのだ。