大正元年の東京誌の加入者割合はおよそ60人に一人と非常に低い普及率でした。にもかかわらず、市民の通話量はふくれ続けていきます。ロンドンやニューヨークの平均使用度数が一人9度であったのに対して、東京の一人の加入者の平均は、なんと一日20度。裏の八百屋に用事があると言っては電話を掛ける始末。そんなわけで、交換取り扱い業務は超多忙となり、遅延、錯誤が多発し、世間の評判も悪く、交換手に対する視線も厳しいものとなっていくのでした。