1944年(昭和19)になると、次第に空襲が激しくなります。各地の電話局では窓や入口に電柱をならべて爆弾から電話施設を守ろうとしました。交換手のシンボルでもあった袴がモンペに筒袖の上着に変わり、技術者たちは、軍服を基礎に作られたカーキ色の国民服を身につけるようになりました。