毎日新聞社提供
物資はおろか食べ物も満足にないこの時代、人々はさまざまな工夫をして代用品としていました。電柱や支持線は防衛通信用に転用され、空襲が始まると暴風よけとして電話局の窓に電柱がならべられました。金属部分を節約した電話が試作されたのもこの頃です。時の内閣1938年(昭和13)近衛内閣は科学審議会を設け、鮭皮ハンドバッグ、木製バケツ、鯨皮のサッカーボール、松の根ガソリンなどの製品を販売したとか。