『住めば都』という言葉どおりの住んでみればそれはそれで住み心地の良い場所と
しての都は、いまの京都にあるだろうか。
なくなりつつある、いやなくなってしまった。様々な論議はあるだろうけれども、
なくなって欲しくないのなら、これ以上なくならないように心掛ければよいだろうし、なく
なってしまったけれどもあって欲しいのならば、復活再生させればよい。できないものもあ
るかも知れないけれど、できるものをすればよい。何がなんでもと思うから角が立つ。とく
に、この点は京都にとって大切な部分だと言える。1200年の間に施政者が何度も代わり、戦のたびごとに今度は誰に、と聞き耳を立て嗅覚をみがき、人々にとっては決して心穏やかに住めた都ではなかっただろうに、住めば都という言葉ができた裏にあるものが本当の京都の姿をうつせみに映し出すのではないだろうか。そこらへんを50年かけて、もう一度復興することが大事ではないか。形あるものは消えゆくのみ、心の中にあるものはもっと消えやすい。孫子の代までというのは、うらみつらみばかりで、よい心のほとんどは一番先に淘汰されてしまってはいるが、それこそ心の問題、気の持ちようである。このところを保つには、まず市内に住めるようにすることである。人がいなければ町は成り立たない。どんどん市が洛中の家を買い取って、子供を産める若い夫婦に賃貸する。その子が二十歳になったら、賃貸解除する。その子がそこに住みたいのであれば、そこで住み結婚することを前提に賃貸する。若い人間をどんどん増やす方策を考えるべきである。いまや京都市は、過疎地である。『住めば都』ではなく『住める都』を目指しましょう!