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西暦2050年−−−現在より約50年後の世界。
いま「子供」と呼ばれ、次世代の担い手として成長しつつある人々が、 もはや「過去の人」として余生を送っているだろう時代。 2050年は、決して現実離れした、遥か彼方の世界ではない。
そこには自分が存在し、現在の老人がそうであるように、「老人」となった自分も、 社会の中でさまざまな制約を受け、1日1日を老いながら、政府の少ない手当のみで、 生活に苦しみながら生きて行かなければならないかも知らない。
が、それはあくまで現在の状態がこのまま続けばの話。
しかし、今の日本はその「続けば」が少しずつ現実になりつつあるようだ。
現在の日本は、急速に高齢化社会となりつつある。自分の家のまわりでも、 住んでいるのはほとんど60才以上の老人である。
今でさえこんな状態なのに、2050年ともなれば、子供の少ない日本と言えども、 高齢者問題は深刻な状況に陥っていることであろう。
これからの医学の急激な進歩や環境の改善に伴う、死亡率の低下、平均寿命の増加は、 50年後において、高齢化社会に新たな問題を投げかけるだろう。
それがどんな影響を及ぼすかは現在の状況を見れば一目瞭然である。
僕は高齢化社会が悪いものだと思っていない。
医学の発達は、即高齢化社会につながるからだ。
これは必然的なものであって、それにどう対応していくかが未来の基盤をつくるための一番大切なことなのだ。
未来のために、地下鉄やビルをつくるのもいいだろう。 しかし、若者や経済ばかりにこだわって、日本の土台の部分の人々を忘れてはいないだろうか。 2050年においては、このまま高齢化、子供の減少が進んだとすれば、日本人の半分以上は老人が占めることになりかねないのだ。
そうなったとき、老人に対する社会の待遇が現在と同じというのでは、日本は足元から崩れさるをえまい。
50年後に行きなり待遇を変えるということはできないのだ。
人間の奥底に眠る精神というものは、長い年月を使わなければ容易に変えられるものではない。
数百年前からある差別を、誰もが法の下では平等となった現在でも持ち続けているような、ことも指摘される。
50年という歳月、長いようで短いものだ。老人ホームや介護センターは、 お金をかけることができればすぐできるが(本当はそんな単純なことでもないのだが)、 人の根底にある精神はすぐに変えられない。
それにはどうすればよいか。
本当に老人を敬い、今後の社会を作っていくためには、今の教育法を変える必要があると僕は思う。
現在の学校では道徳そっちのけで、受験のための勉強ばかりしている。
こんな状態で人のことを考えられる大人になれという自体間違ってはいないか。
近ごろの少年少女の非行が凶暴化しているということも、教育のあり方が根本的に違っているからではないか。
2050年の未来には、本当の教育が必要であり、老人に対するこまやかな心配りが、当然のごとく行なわれているような、そんな世界にしていかねばならないのである。
みなさんからの提案をお待ちしています。
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