■二条城撮影所

撮影所跡地にある中学校
 1910(明治43)年、東京に次いで2番目、京都では初めての撮影所が二条城の南西に建設された。当時は特に決まった名前すらなかったようだが、誰いうとなく、語り継がれた呼び名が「二条城撮影所」である。
 これは関西初の映画会社である横田商会がその地元の京都に初めて築いたもので、映画の都・京都の出発点といえるだろう。300坪の土地に「二間から四間くらいの板敷きの舞台を作り、その上に開閉できるようにした天幕を張り、真昼間の天然光線の下で撮影した」という簡単なもので、背景はすべて書き割り、役者たちは近くの民家で着替えや化粧をしたという。つまり映画の中身は屋外の舞台上演をそのまま撮影したものであった。この二条城撮影所で始めて撮られた作品が、牧野省三監督、尾上松之助主演の「忠臣蔵」である。以後、この牧野・尾上コンビが日本映画の創世期を引っ張っていくことになる。
 現在、二条城撮影所の跡地は中学校となり、残念ながら当時を偲ぶものは残されていない。