京都・映画史 年表

 

 
1940年
(昭和15)
 1月
6大都市で文化映画を強制上映
 4月 各ニュース映画を統合、社団法人ニュース映画社設立
10月 大政翼賛会発会
1941年
(昭和16)
12月 太平洋戦争勃発
12月 アメリカ映画、8支社閉鎖
1942年
(昭和17)
 1月 内閣情報局、映画業界を統合。劇映画3社(松竹・東宝・大映)文化映画3社となる
 1月 新興キネマ、大都映画、日活を合併して大日本映画製作株式会社(大映)設立
 2月 映画配給社(映配)設立。配給を一元化して、映画館を2系統にする
 4月 日活京都撮影所は第三大映撮影所に、新興京都撮影所は第四大映撮影所となり新発足
 7月 千恵プロ嵯峨野撮影所閉鎖


        千恵蔵映画撮影所
1943年
(昭和18)
 3月 日本最初の長編アニメ映画「桃太郎の海鷲」公開
 9月 大政翼賛会、映画上映前に「愛国行進曲」「海ゆかば」の放送を要請
1944年
(昭和19)
 4月 映画館は平日3回、1回1時間40分以内に制限
12月 生フィルムの欠乏により全国731館に対し配給停止
1945年
(昭和20)
 3月 東京、大阪大空襲
 8月 広島、長崎に原爆投下
 8月 ポツダム宣言受諾、敗戦。一週間の興行を自粛
 9月 GHQ指示により時代劇製作を禁止
11月 各映画社、従業員組合結成
12月 映画法廃止
1946年
(昭和21)
 1月 GHQの映画検閲が開始
 2月 アメリカ映画の輸入が再開
 4月 日本映画演劇労働組合(日映演)結成
10月 京都映画株式会社設立
1947年
(昭和22)
 3月 新東宝映画製作所設立
   7月 東横映画株式会社設立


       東横映画京都撮影所
(左より片岡千恵蔵、市川右太衛門)
   7月 大映第二撮影所が東横映画京都撮影所に改称
1948年
(昭和23)
 3月 黒澤明ら「映画芸術協会」設立
   4月 東宝、1200人解雇で戦後最大の争議起こる
1949年
(昭和24)
 6月 GHQの要請で映画倫理規定管理委員会(映倫)発足
10月 東映の前身、東京映画配給株式会社設立
アメリカで映画人へのレッドパージ強まる