![]() |
|
■京都映画撮影所 | |
![]() |
![]() |
映画産業が盛んであった頃は、東映、大映と並び「松竹太秦撮影所」として、松竹の拠点となっていた。現在は同系列の京都映画株式会社が借り受ける形で「京都映画撮影所」とし、映画・テレビ両方の製作に重要な役割を果たしている。 | |
この撮影所の歴史は1935(昭和10)年に開設された「マキノトーキー製作所」に始まる。その後、撮影所の名称は何度か変わり、1940(昭和15)年に「松竹太秦撮影所」となった。しばらくは松竹の京都での製作拠点が下加茂撮影所に集中し、その補完的な役割を果たすに過ぎなかったが、1950(昭和25)年に下加茂撮影所が出火、以後はこの松竹太秦撮影所が松竹の主力撮影所となった。この頃から占領軍によるチャンバラ映画への規制が揺らぎ、この撮影所でも松竹キネマ創立30周年記念と銘打った「大江戸五人男」が制作される。以後、「花の生涯」「切腹」などの時代劇大作が次々と生み出されている。しかし、1960年代に入り映画界全体が活気を失っていくと、1965年松竹はいち早く太秦撮影所を閉鎖、その後は先に述べた通り、「京都映画撮影所」となって今日に至っている。 | |
1990(平成2)年、この京都映画撮影所内に「KYOTO映画塾」が開設された。これは「日本映画のふるさとともいえる京都の地に、映画伝承のための後継者育成の拠点をつくる」ことを目的としたものであり、実際の映画人が直接その指導を行っている。 −主な作品− 「国定忠次」「弥太郎笠」 「元禄忠臣蔵」「鳥居強右衛門」 「母子草」「海軍」 「大江戸五人男」「花の生涯」 「青銅の基督」「切腹」 「千利休」「豪姫」 「陽炎」 「忠臣蔵外伝・四谷怪談」 |
|
松竹第二(京都映画)撮影所
![]() |