![]() |
|
■松竹下加茂撮影所 | |
![]() |
|
1923(大正12)年9月1日、関東大震災が発生。東京の松竹蒲田撮影所は壊滅状態となる。ここで白羽の矢が立ったのがこの松竹下加茂撮影所である。松竹は以前から下鴨宮崎町に敷地を入手していたので、急遽スタジオ建設を進め、早くも震災の10日後には蒲田からの第一陣が入所している。現代劇部門は、翌年1月にはすでに蒲田へ引き上げているが、時代劇部門はここに残り、製作を続けていくことになる。しかし、その時代劇が振るわず、撮影所は事実上の休止状態となる。この時期に独立プロを率いる衣笠貞之助がここを借り入れ「狂った一頁」「十字路」などの名作を生み出している。 | |
1926(大正15)年、松竹京都撮影所と改名。阪妻プロが松竹配給作品の制作を開始する。その後、林長二郎(長谷川一夫)が松竹に入社。その第1作「稚児の剣法」が大ヒットとなって軌道に乗ると、マキノや日活とはまた一味違った時代劇を世に送り出していくのである。1950(昭和25)年、フィルム倉庫から出火、フィルムや建物の大半を焼失する。これを機に2年後の1952(昭和27)年には松竹系列の京都映画株式会社に売却され、「京都映画撮影所」となってテレビ映画などの製作を進める。しかしその京都映画も1974(昭和49)年に太秦に移転、51年間におよぶ歴史が閉じられるのである。 | |
右端 林長二郎(長谷川一夫)
![]() |