■法華堂撮影所 | |
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1912(明治45)年、二条城撮影所の後を受け、京都で二番目に建設された撮影所が「法華堂撮影所」である。上京区天神通一条の約600坪の敷地に、採光のため屋根の片方をガラス張りにした半グラス・ステージを設け、現像所、俳優部屋、倉庫、事務所なども作られた。また最新機材も揃えられ、なんとか形の整った撮影所となっている。すぐ南側にある十如寺(法華堂)など、近くにはいくつかの寺社が建つだけで民家などは一軒もなく、一面の大根畑であったという。 この撮影所ができて半年後、横田商会、吉沢商会、福宝堂、M・パテーの4社が合併し「大日本活動写真株式会社」(日活)が創立。法華堂撮影所の名前も「日活関西撮影所」となる。 ここで撮影したのも二条城撮影所から移った牧野・尾上コンビである。尾上松之助は「目玉の松ちゃん」の愛称で全国のファンに親しまれ、映画スター第1号となって時代劇映画を大量生産していく。ピーク時には毎月9本を配給、じつに3日に1本のペースである。制作技術も進歩し、簡単な編集効果によるトリック撮影が忍者映画などに応用されて「児雷也」「霧隠才蔵」「忍術甲賀流」などが人気を呼んだ。 |