佐田 義賢
(脚本家 1909〜1991)

 京都市生まれ。商業学校を卒業し銀行員となるが、21歳でシナリオライターを志し、日活京都に入社。4年後に病気のため日活を退社するが、36年第一映画社の創立に参加、溝口健二監督と出会う。ここで「祇園の姉妹」などを執筆する。第一映画社解散後も溝口とコンビを組み、そのほとんどの作品のシナリオを担当した。溝口との仕事ぶりは時に壮絶を極め、「血の涙流して『おのれ溝口、溝口殺して俺も死ぬ』と、それくらい闘って」進めていったといわれる。溝口没後も執筆活動は精力的に続き「異母兄弟」「悪名シリーズ」「天平の甍」などを残している。71年からは大阪芸術大学教授として後進の指導にもあたった。
−主な作品−
「浪華悲歌」「祇園の姉妹」「浪花女」
「元禄忠臣蔵」「お遊さま」     
「西鶴一代女」「雨月物語」     
「山椒大夫」「異母兄弟」「荷車の歌」
「花の吉原百人斬り」「悪名」シリーズ
「天平の甍」