
横田 永之助
(横田商会創始者
1892〜1943年)
京都市出身。兄の友人である稲畑勝太郎からシネマトグラフの興行権を譲り受け「横田商会」を設立。映画を商業ベースで広めていった第一人者である。フランスのパテー映画社とフィルムの直接購入の契約を交わした横田は、1904(明治37)年に日露戦争が勃発すると同社からその戦況映像を独占輸入、全国で巡業し大成功を収める。戦争が終わると今度は日本製映画を作るべく、芝居興行に精通した西陣・千本座の座主、牧野省三に劇映画の製作委託、さらに二条城の南西に「二条城撮影所」を作って「映画の都・京都」の基礎を築くことになる。