
尾上 松之助
(俳優 1875〜1926年)
岡山県生まれ。小さい頃より芸事を好み、役者となって歌舞伎の一座を組む。巡業中に牧野省三と出会い、映画の世界に入る。第一回作品は「碁盤忠信」(牧野省三監督・1909年)で、以来一千本を越える映画に出演。「目玉の松ちゃん」の愛称で広いファン層に親しまれる。後年、牧野省三と対立し、義弟の池田富保監督とコンビを組み一千本記念映画「荒本又右衛門」などを製作。21年からは2年間、日活大将軍撮影所の所長を努めるなど「重役スター」として活躍するが、1926(昭和元)年「侠骨三日月」の撮影中に倒れ、帰らぬ人となる。社会福祉事業への功労者としても著名であった。