蓮華光院門跡の鎮守として元禄年間(1688−1704)讃岐の金比羅宮の祭神を勧請したのが始まり。 明治期に寺が嵯峨大覚寺に移され、鎮守地が残った。 崇徳天皇も合祀、崇徳廟が境内にあり、源頼政も同所に祭り、安井神社と称したこともある。