牧野 省三
(プロデューサー・監督 
   1878〜1929年)

 1878年京都に生まれる。小さい頃から母の影響を受け芸事を好み、西陣・千本座の劇場を経営する。横田商会の横田永之助の依頼により映画製作を開始。1907(明治40)年に第一作である「本能寺合戦」を製作する。その後尾上松之助を旅先でスカウト、省三・松之助コンビによる時代劇を次々と世に送り出していく。トリック撮影を開発するなど、映像特性を生かした様々な表現方法を駆使して、監督として手腕を発揮する一方、若い俳優やスタッフを育てるなど、プロデューサーとしても多大な役割を果たしている。1921年、古巣の日活から独立し、以後も20年代の日本映画界をリードするが、経営上は不安定で、苦難の道が続く。1928年「実録忠臣蔵」の撮影に入るが、完成を見ずに翌29年に他界。その意志は息子の雅広・光雄に引き継がれていく。「一スジ、二ヌケ、三動作」の名言を残し、日本映画界に大きく貢献した日本映画の父である。