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■日活大将軍撮影所 | |
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法華堂撮影所が 北区大将軍一条町に移転してできた、 京都で3番目の撮影所である。 正式には「日活関西撮影所」 であるが、一般には 日活大将軍撮影所で 親しまれている。 当初は約1500坪の土地に ステージ一棟、俳優部屋、 現像所、事務所が建ち、 法華堂撮影所の時代と 同様に仕事が進められていた。 | |
1923年(大正12)年 9月1日、関東大震災が発生。これを 機に撮影所の運命は大きく変化する。 この震災で日活の東京向島撮影所が 壊滅、その機能が ここ大将軍撮影所に移ってきた のである。敷地の南側が 拡張され、3000坪弱となり ステージ一棟も増築された。 当時、映画製作の現場として、現代劇は 東京、時代劇は京都という事実上 の役割分担があったのだが この移転により両方の部門が京都に 集中する結果となった。 もちろん機材だけでなく 溝口健二、村田実、稲垣浩 といった人材も京都に移り、まさに 映画製作の一大拠点の誕生であった。 |
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左端 宮川一夫(撮影助手時代)![]() |