桃太郎/異民族が鬼となる

大いなる桃の実流れ来しといふ 昔ばなしの春の川水 正岡子規

ある所に、爺さと婆さがあったと。
爺さは山へ芝刈に、婆さは川へ洗濯に行ったと。
そしたら、向こうからでっけい桃がゴックリゴックリ流れてきたと。 婆さは、爺さまといっしょに食べにゃなんねと思って家に持ち帰ったと。 「豪気な桃やな、食べるべ、食べるべ」
桃を割ったら、なかから大きな男の子がボコン。 「ううん、こりゃまあ珍しい男の子だ、桃太郎とでも呼ぶべ」

爺婆、一生懸命大事に育てた。
「婆さん、婆さん、このきびを挽いてだんご作ってくれ」 そしてそのだんごを袋にいれて山へ行ったと。 雉(きじ)が一羽来て、
「桃太郎さん、桃太郎さん、どこへいらっしゃる」 「おうおれか。おらあ鬼ヶ島へ鬼退治に行くたい」 「その腰にある、きびだんごくれたら、お供しましょう」 また歩いていると、猿と犬がやってきて、おなじように弟子となったと。

鬼ヶ島へ行ったら、鬼どもは厳と門閉めていたと。 そしたら雉が羽で門のなかへあっと飛んでって、門の扉を開いたと。 猿はひっかきまわる。犬はがんがんと食いつき、桃太郎は鬼どもを成敗した。 「命だけは助けてください。鬼の宝はみなあげます」 桃太郎は、鬼を許してやり、ぎょうさんの宝をもって爺婆のもとへかえったと。

桃太郎の鬼征伐
『武士道の模範とされた儒教思想、智・仁・勇を投影された桃太郎は、「困っている 里人」を救うためという美しい名目で鬼退治をする。』江戸時代末期に完成した、こ の明快なキャラクターにたいする脚色は、その後の時代風潮に見事に対応していく。

明治、大正、昭和の富国強兵の時代、尋常小学校の教科書にも登場した桃太郎は、つ いに『天つ神の御使、大日本の桃太郎将軍』と名乗りを上げる。日清、日露とあいつ ぐ大戦に勝利し、帝国主義の英雄となった桃太郎の試練がこうして始まったのであった。 運命の昭和16年12月8日午後3時。日本海軍がハワイの真珠湾を攻撃した。この 攻撃をモデルに昭和18年、文部省推薦、海軍省後援、芸術映画社が制作した『桃太 郎の海の鷹』。このアニメでは真珠湾を鬼ヶ島にたとえているのである。奇襲部隊が 一斉に飛び立ち、夜明けの鬼ヶ島軍港を攻撃。猿、雉などが搭乗した戦闘機から、「 われら奇襲に成功せり!」と桃太郎隊長に無電が飛ぶ....

『征け桃太郎・米英を撃て』という軍部のポスターにもみられるとおり赤鬼に見立て られた米国大統領ルーズベルト。政府、軍部は太平洋戦争を「聖戦」と位置づけ、相 手の米英国を「鬼畜米英」と盛んに宣伝したのであった。

 日本じゅうの子供が一人残らず桃太郎になる。  爺ちゃん、婆ちゃん、さようなら。
 日本じゅうの桃太郎が出陣する。 百田宗治

そして、終戦。
戦犯となった『桃太郎』は半世紀近くも採用されてきた小学校の教科書から一切姿を 消した。

昭和30年代になって、ようやく民話ブームを背景に、おとぎ話『桃太郎』として復権をとげたのでした。