地獄

地獄絵(六道絵)は、末法の世といわれた戦乱興亡の世に流布した六道輪廻思想によって製作されたものだ。すべての人は一生の行いによって地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人、天の6種の世界に生まれ替わる。なかでもこの恐ろしい地獄の絵は、地獄に堕ちたひとたちのありさまをリアルに表現している。老年の西行は、この絵にいたくこころを動かされ27首の連作を残す。


再び陸奥へ

陸奥への旅の途中、遠州の天竜川の渡し場で船に乗る。満員の乗客の一人の武士が、「船が狭い」といって西行の眉間を鞭で打った。西行は血を流しながらも微笑をたたえて下船した。悲しむ供の僧に向けて西行は「どんなことがあっても堪え忍ぶのが出家の道」という。


富士を見る

再度の陸奥への旅が西行最後の旅となった。奥州藤原氏への東大寺再建の勧請(寄付要請)が目的であったと伝えられる。途中、鎌倉で源頼朝に会見する。


往生の庭 桜に死す

西行は静かに念仏を唱える。安置された阿弥陀如来から西行の手へと五色の糸がかけられている。往生の庭には桜が満開であった。建久元年(1190年)西行73歳の2月16日、臨終の地は河内国弘川寺と伝えられる。自らの歌そのままに桜の木の下で大往生をとげたことが、生前関わりのあった俊成以下の歌人たちに深い感動をあたえた。西行はすぐに伝説化されはじめ、西行物語、撰集抄など数々の作品が生み出された。