えいやえいやと組むとぞ見えしが、頼光下に組み伏せられて、鬼一口に食はんとする を、頼光下より刀を抜いて、
二刀三刀刺し通し刺し通し...
平安の都に、魔物が夕暮れになると姿をあらわし、金銀財宝や数知れないほどの美し い姫君たちをさらっていくという恐ろしい事件が発生した。当代随一の陰陽師・安部 清明の占いによると、丹波の国大江山にすむ酒呑童子を頭とする鬼一族のしわざらし い。時の帝から鬼退治を命じられた源頼光は、藤原保昌、渡辺綱、坂田公時らととも に山伏姿に身を変えて、大江山へと乗り込んだ。 途中、洞窟にすむ三人の翁(石清水八幡、住吉明神、熊野権現の化身)から「神便鬼 毒酒(じんべんきどくしゅ)」という「鬼がのむならば、飛行自在の神通力を失い赤 児も同然になれど、御身たちが飲めば、かえって霊顕あらたかな薬のなるという」霊 妙不思議な酒をもらうのであった。
そして道に迷ったふりをして、鬼どもの岩屋へ入り込んだ頼光の一行は、その酒で酒 呑童子らと酒盛りをはじめた。だんだん気を許しはじめた酒呑童子は、「遠慮なく、 盃をお乾しくだされよ、わたしは性来の酒好きで、人よんで酒呑童子と申しておりま すわ」と屈託なく笑う。やがて鬼たちは酔いつぶれて寝込んでいったのである。 頼光らはこのすきにと鎧兜に身をかため、首尾よく酒呑童子をはじめ茨城童子、星熊 童子、虎熊童子、金熊童子ら十人余りの鬼どもをことごとく討ちはたしたのであった。
鬼となった人々 この大胆不適な奢りの一首をものとした平安王朝の繁栄の影には、暗黒部に生きなければならなかった実に多くの犠牲の民(鬼)の姿がある。 酒呑童子とは、お伽草紙にも書かれているとおり比叡山延暦寺の稚児であった。当時 、叡山の稚児は四方髪という肩までの長髪であり、ある時期をすぎると頭を剃り上げ 仏門に入る習わしがあった。ところが年長を重ねてもこの大童の髪の者がいたという 。つまり叡山での落ちこぼれである。そして彼らの中には寺に居られなくなり、つい には山をおり都へと向かう者があったという。 読み書きができ、知恵もあった彼らが、盗賊団の首領となることは、そうむずかしい ことではなかったに違いない。事実〈童盗人〉という言葉があるくらいに、盗人には 童髪のものが多かった。 一種の浮浪無頼漢が、利害を分かち合い安全を保証しあう目的で山での洞窟暮らしを 選んだのであろう。彼らが、好んで童名を称したところに、その境遇にたいする詠嘆 の情がくみとれるのである。 大江山の鬼と呼ばれた凶悪な山の民、略奪殺傷のかぎりをつくしつつも、終生にわたり童名を捨てなかった叡山の稚児のなれのはてを、せめて〈鬼〉とよんで伝説の英雄 に仕立てあげ、酒呑童子を誅殺者頼光以上の英雄にまつり上げた長年の伝承者たち。 誅殺された反体制者への哀悼の心があったのではないかとさえ思われる。 鬼退治を果たした頼光一行の武者、坂田公時(さかたのきんとき)とは日本昔話で有名な金太郎のことである。彼はまさに山の捨て子、鬼の子であったということは、な んとも皮肉なことである。
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