出家


この世は惜しんでも惜しみ通すことはできない。
いっそ世を捨てこの身を助けよう。

鳥羽院に仕える北面の武士佐藤義清(のりきよ)は、保延6年(1140年)10月15日に出家した。西行と号した。かねてから出家の決意を抱いていた西行は、自分の娘を縁の下に蹴落とすことにより家族へのおもいを断ち切った。

出家して、隠遁生活に入った西行はしばらくの間、都の周辺に草庵をつくり暮らした。しかし不徹底な自分のありようからの脱却をはかって、初めて伊勢への旅を試みる。そして天養元年(1144年)27歳の年、西行より200年前の歌人、能因法師の旅路の後を追って、陸奥、出羽の旅へ・・・。



白川の関所の宿に漏れて差し込んでくる月の光は、
なにか人のこころを引き留めるものがある。
去りがたい思いだ


吉野山

うららかな春の日、吉野山には一目千本の桜が咲き乱れていた。西行は、桜の木の下に寝そべって心ゆくまで眺めていた。花びらが舞い、昔なつかしい気がした。

陸奥の旅から帰った西行は、以来30年、高野山を中心に活動する。その間も、吉野へ、熊野へと旅が続く。


吉野から熊野へ

吉野山の桜は聞きしにまさる素晴らしさだった。西行は熊野三山への参詣を思い立って厳しい山道を踏み分けた。もの寂しさをまぎらわしながら、経文を唱え十津川の渓流の傍らまでやってきた西行を、おりしも満開の桜が枝を広げて出迎えた。


淀川・江口の里 女に宿を願う

とっぷり日が暮れて、西行はとある宿を訪れた。
「あなたに出家することを求めるのは難しいけれど、かりそめの宿を貸すことまであなたはおしむのだね」と一夜の宿を願う西行に、出てきた艶かしい女は西行の願いを断った。「出家の方なればこそ、このような俗世の仮の宿にこころをとめてはなりませぬ」と歌った。

後世、能「江口」(観阿弥作)となる。

大峰山