世は平安から鎌倉へ、平氏から源氏へと、まさに時代は貴族の時代から武士の時代へと移り変わろうとしていた。 上皇に仕える北面の武士というエリートであった佐藤義清(さとう・のりきよ)は23歳にして出家、西行と号した。出家の原因は定かでない。 しかし、西行の実像は、出家、隠遁、さすらいの旅からくる枯れたイメージとはほど遠い存在だったともいわれている。崇徳上皇をはじめ当時の権力の最上層部に通じ、平清盛は北面の武士時代の同僚であり、源頼朝にも会見するなど西行には出家後も数々の政治的コーディネーターとしての数々のエピソードがある。もちろん当時の歌壇においても有名人だった。 西行の死後、彼の多彩な生涯は伝説化されることとなる。本当の西行はどこにいるのか。それはやはり「悩み抜いたこころの花」としての彼の歌の中に、いまなお生き続けているのではないだろうか。
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