昨年、関野吉晴がコロンピアへ入国するため、外務省(現地大使館)に「便
宜供与」を申請したところ、ダリエン地峡縦断は「無謀かつ危険な計画」なので
取り止めるようにという勧告があった。 外務省の調査によると、以下のような事
件が続発しているからということだった。
@1992年1月中旬、デンマーク人男性1名が、陸路でパナマからコロンピアに抜け る途中で行方不明になり、最近その人物と思われる白骨死体がダリエン地峡で発 見されたが、検死の結果、銃器で殺害された可能性があることが判明した。 A1993年1月、ダリエン地峡付近でアメリカ人宣教師3名が誘拐されるという事件 が起こったが、まだ未解決である。 B1995年1月下旬、国境地帯でコロンピアのゲリラ、または麻薬マフィアと思わ れる10名ほどのグループと国境讐備隊との間で銃撃戦があった。 C1995年7月初句、コロンピアから船でパナマを経由してコスタリカに向かった キューバ人夫妻が、7月9日以来消息不明となっている。 関野たちの計画には、コロンピア北端のウラバ湾に面するトウルボ〈地図参 照)からカヤックで湾を縦断して、アトラト川を可能な限り遡行したあと、コロ ンピア最後の地点クリスタレスから徒歩で分水嶺を越え、パナマ側のパヤに至る ルートのA案と、ウルバ湾からカリプ海にカヤックで漕ぎ出し、陸地に沿って進 んだあとパナマ側の国境の町プエルト・オバルディアに上陸するというB案の2つ があった。 しかし、外務省の判断ではいずれのルートも治安状態が極度に悪く、「本件取 材チームが不法グループによる金品強奪目的のターゲットとなる恐れや、徒歩で ジャングル地帯を踏破する際に各種事故に遭遇する可能性があり、さらに救出や 位置確認の間題もあり、従って国境地帯を陸路で通過するのは極力避けるべきと 思慮する」という結論になり、「ウラバ湾を経由して海路パナマ側に渡ること も、ウラバ地方の危険度からこれを回避すべきで、安全なカルタヘナから空路ま たは海路でパナマに入られることをお勧めしたい」ということだった。 この外務省の状況説明は関野たちが把握しているものと同じだったが、「カル タヘナから空路または海路でパナマに入る」という勧告は、グレート・ジャー二 一計画を放棄することと同じであり、ダリエン地峡縦断はこの計画で欠かすこと のできないルートであることは理解してもらえなかった。外務省勧告に従わずに 計画を実施すれば、「関係者の方々に迷惑がかかることになる」と懸念した関野 たちは、あくまで有志の探検隊としての範囲内で行動することにした結果、当然 ながら、より憤重にならざるを得なかったわけだ。
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