ペルーアンデス
南北8000キロ、世界最長の山脈の中央に位置するペルーアンデスには独創的な文化を誇った インカ帝国が栄えた。(紀元後1200ー1534) インカのそびえる石要塞 は立派な石造建設でよく知られており、都会の町マチュ ピッチュはアンデスのウルバンバ川上にまだ残っている。 永久のチリの詩人、パブロ ネルタ マチュ ピッチュは創造性、大胆さ、そしてインカの建設家、 職人、政治家に対する生きる記念碑として象徴されている。
1532年にスペインが征服した時、小さな村の600、000人は宗教、政治、の中心へと 散らばった。 それらの中心地でインカの職人は金、銀、織物や明るく塗られた陶器などを作っている。その中でも金はフランシスコ ピザロをスペインのためにインカ帝国を征服しようと言う気にさせ、1534年までに成功さえた。 インカには火器がなかったためスペイン銃の力に抵抗する事は 出来なかった。
スペイン人はペルーアンデスのケチャインディアンに鉱山や厳しいコンディションの農場で働かせたが、インディアンはそれには慣れていた。 彼らの祖先もすでに一番大切な作物、ポテトを土地に慣れらせてあった。
今日アンデスに住んでいるケチャインディアンはまだポテトの栽培をしたり羊やアルパカを育て 羊毛にしたりし、インカの伝統を保っている。その他インカ武器オンダを使う石器戦争もまだある。 2年に1回村の人々はよしの橋を建て直す。 チチカカ湖に浮くウロス島はよしで出来ており、 人々が住んでいる。 よしは住人にとってとても貴重なものだ。 ボートも家もよしで出来ており、 このよしを食べる人もいる。 まだ村の人々は昔のように暮らしているが、最近旅行者が増え、 FAX付の電話が付いているオフィスがある。
ナンシー C. ルットキハウス
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