関野吉晴からの報告
南部アンデス
1951年のこの土地には道路はまだなかった。ラウルガジャルドさんは手製のボートでパレナ川を遡ってきたという。入植して10年後、生まれ故郷から14歳年下の奥さんを連れてきた。国境地帯だけにもちろんここもアルゼンチンとの関係が深い。アルゼンチンの商人が行商にきた。2週間かけて物資の買い出しに行くのもアルゼンチンだった。流通している通貨もアルゼンチンのものだった。税関もなかった。

開拓民と言葉を交す度になぜパタゴニアに移住してきたの、と尋ねた。すると「メホールビダ(よりよい暮らし)を求めてやってきたのさ」とほとんどの人が答える。彼らは夢を持ってここに入植してきたのだ。ちょっと先住民たちを思い出して比べてしまった。先住民たちは、新しくこの大陸にやってきた民族に圧迫されて、追われるように移住を余儀なくされてきた。そしていま、彼らは滅び去る寸前にある。

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