オリノコ川

 オリノコ川は、ベネズエラとブラジルを流れている。アマゾンと同様、オリノ コ川は、南アメリカの暑い熱帯低地の森林地帯をうねっている。

 その、人を近づけない気候と深いジャングルの地形の為、それらの地域にはま ばらにしか人が住んでこなかった。長い間、南アメリカの植民地の人々が避けて いたこともあって、伝統的にそのアマゾン川流域とオリノコ川流域に住んでいた のは、多くの小さな土着のインディアングループである。そのようなグループの 1つ、ヤノマミ族には人類学者、伝道師そして旅行者も関心をよせている。今 日、彼らについて描いている民族誌や映画は、彼ら南米インディアンの姿を最も 正しく伝えるものであり(ヤノマミ族はブラジルの熱帯雨林が舞台のジョン・ブ アマンの冒険ドラマ『エメラルドの森』に描かれているアマゾンのインディアン の原型だった。しかし彼らは依然としてその地域で他から隔離され、かつ同化し ていないグループの1つであった。有名な人類学者のナポレオン・シャノン (『ヤノマミ族』の著者)は最初にヤノマミ族を訪れたのは1964年であり、それ から今日まで継続して訪問している。1970年代のはじめ、彼は民族学的な映画製 作者のテモシーアミュとヤノマミ族の文化と社会についての映画シリーズについ て一緒に仕事をした。彼らがプロデュースした映画は、『斧の戦い』『バグの分 配』『魔術的な死』そして『子供達の魔術的な死』(Documentary educational Resources)。他の映画はインディアンへの宣教師達の出現をドキュメントしたも のだ。(オマモは私の街;新しい部族の伝道)

 シャノンは最初はヤノマミ族を「獰猛な人々」と特徴づけていた。それは彼ら の好戦的な性向によるものだった。戦いはたいてい大きなグループが小さなもの に解散したり、分散したり、または地域の一部のグループが他の地域へと入った ことなどによっている。しかし、ヤノマミ族のなかで過ごした他の人類学者は、 ヤノマミ族の他の地域や夫婦、親子の間に存在している協力や友好、そして親密 さというものを指摘している。彼らヤノマミ族は他の多くの人々やグループと同 様、獰猛でもないし、暴力的でもないと言っている。

 それからそのシャーマンは、その霊に病人を苦しめるのを止めるようにと説得 し、そして健康をとりもどすのを助けるようにするのだ。

 南アメリカにおけるヨーロッパとの接触の長い歴史において、ヤノマミ族がい かに長く孤立し、かつ文化的に他の影響を受けないできているというのは驚くべ き事である。カトリックとプロテスタントの宣教師に加えて、ヤノマミ族の自活 と存在にとって、根本的に最も脅威となるかもしれないのは、ブラジル国境付近 の彼らが住んでる地域で黄金が発見される事だ。ブラジル人のガリンペリロ(金 堀り)の手によるヤノマミ族4人の死は国際的な問題になった。しかし、ガリペ イロのベネズエラのヤノマミ族の領域への不法侵入についての報告は、依然とし てなくならない。

ナンシー C. ルットキハウス