アラスカ南東フィヨルド
アラスカ南東部の沿岸水路800キロをカヤックで移動。8月始め、二人乗りのカヤックでプリンスルパートを出た。カナダ北部の太平洋に面した港街だ。1カ月近くかけてアラスカ南東部の沿岸水路およそ800キロを漕ぐためだ。相棒は日本を代表するシーカヤッカー、渡部純一郎君だ。
出発当日、メトラカトラ村に寄った。カヤックを波止場の脇につけ、上陸した。およそ400人、40家族のメトラカトラ族が住む村だ。村の世話役が出迎えてくれた。村を案内してくれ、彼の家の庭にテントを張ることを許してくれた。それだけで有難かったのに、夕食に招待してくれた。午後5時に村のオフィスに来るようにいわれた。オフィスの奥が集会所になっていて、大きなテーブルが置いてある。そこに海の幸が並べられていた。子持ち昆布、鮭とオヒョウの干物、鮭とシシャモの薫製、乾燥させた海草、はまぐり、茹でたじゃがいもなどを村の有志がそれぞれの家から持ち寄ったものだ。子供達や青年達もにこにこしながら集まってきた。満腹になりかけたころ、長靴を履いたいかにも漁師といった風の村人がやってきた。ダンジネスガニを入れた大きなカゴをかかえていた。
「好きなだけ持ってっていいよ」といいながら、そのかごをテーブルの上に置いた。その後、アラスカに入って、ハイダ族やトゥインギット族から温かいもてなしを受けた。ナバホ族の保護区にいたときも感じたことだが、ここでも自分達の言葉を含めた伝統文化を取り戻そうと懸命になっていることが印象的だった。
彼らの住むサックスマンに着いたとき、2そうのカヌーで出迎えてくれ、しばらく並んで走った。船首では2人の若い女性が太鼓をたたきながら歌を歌っていた。伝統衣装に身をくるんだ村のリーダーや若者達が岸辺に立っていた。カヤックを岸に着けると、
「ちょっと待ちなさい」
と言って、カヤックを引きずりあげてくれた。遠来の客がカヤックで着いたときには、客の足を濡らさないようにするのが、彼等の礼儀であると聞いていたので、私たちも濡れないように気をつかって下りた。村長格の太った男性が歓迎の挨拶をしてくれた。船首でカヌーの船頭をしていたトーテムポールの彫刻家、リーさんの家に泊めてもらい、家族同様の温かいもてなしを受けた。
32日間のカヤックの旅で、白人の住人達にも親切にしてもらった。いつもどんよりとした雲が空を覆い、何回も雨に打たれた。強い風に吹かれ、海が荒れたこともある。しかしグリズリーや、ブラックベアー、オルカやザトウクジラ、アザラシ、アシカがたびたび現われて目を楽しませてくれた。それ以上に旅で出会った人々の温かいもてなしに、胸が熱くなっていた。
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