今昔百鬼拾遺 雲之巻

(国立国会図書館所蔵)

石燕曰く 建木の西にあり。人面にして魚身、足なし。胸より上は人にして 下は魚に似たり。是てい人国の人なりとも云。
解説 「山海経」(高馬三良訳 平凡社)の「北山経」によると、 その姿はさんしょううおのようで、 四つの足があり、その声は赤子のようだそうです。中国からの伝来では 不気味な姿をしているようで、石燕の画もそれにしたがっています。 上半身が赤い髪をした美女というのは近世 以降で、中世まではあくまで人と魚の中間の姿のようです。
日本で最初の記述は、「日本書紀」の推古天皇の時代(619年)に、 摂津(現在の大阪府)で怪物のよう な顔をした人魚が漁師の網にかかった話でしょうか。
人魚の出現は何か大事件の前兆といわれていました。それは吉兆の場合も 凶兆の場合もありますし、津波や暴風雨の前兆の場合もあります。 また予言する場合もあるようです。
江戸時代の文政期(1818〜30)には、人魚の絵がコレラ避けとして 流行したそうです。持ち歩いたり、戸口に貼ったりしました。 この時の人魚の絵は胸に一本、尾に三本の剣を持ち、髪を振り乱した 奇怪なものだったようです。